凛々しく、神々しさが、素晴らしい。
主祭神は饒速日命。
京都・貴船神社の御祭神三柱を合祀、罔象女命、高龗神、闇龗神。
弥彦神社に次ぐ、新潟県内で最初の縣社に列せられた。
神様が天の石船に乗りお出でになられたとの伝説。
大同2(807)年、北陸道観察使・秋篠朝臣安人が下向の際に社殿を建立。
神林岩船港IC下車、岩船港方面へ約3.5Km。
岩船集落の総鎮守と呼ぶに相応しい立派な社。
社殿まで伸びる参道は、綺麗に履き清められ、清潔感があります。
おまけに社殿があるケヤキの大木が林立する境内から、岩船漁港や集落を一望でき、壮観です。
古い時代、岩船の柵が置かれた頃に創建されたと、聞いても不思議では無いでしょう。
ちなみに境内から一望する時は冬の落葉している頃が、お薦めですね⛩️✨。
磐舟郡総鎮守で創祀は648年、御祭神は饒速日命、水波女命、高龗命、闇龗命。
社殿、本殿は明治時代に再建されたものですが珍しい建築で見応えありました。
また、謎の境内社がいくつかあります。
西には丸見えのニイハオトイレもあり驚きました。
気づきませんでしたが、社叢は薮椿の群生地として天然記念物に指定されており、また磐船柵趾の碑と松尾芭蕉の句碑もあるとのこと。
瀬波温泉に宿泊して立ち寄りました。
海岸線から階段を登ると社殿があります。
瀬波の美しい海の眺められる神社です。
人もおらず静かな神社をお参りしました。
石船神社いわふねじんじゃt新潟県村上市岩船三日市9‐29祭神饒速日命 罔象女神高靇神 闇靇神物部守屋敗亡(587年8月)後物部氏は2派に分かれた天皇家に協力した「内物部」と逃亡しそれと戦った「外物部」という(谷川健一氏)外物部は天皇家から土蜘蛛、蝦夷と蔑視された人達と協力し大和から伊勢、尾張、相模、常陸等で敗戦しながら北へ北へと後退ついに越の国の最北端まで来て当地に饒速日命を祀る神社を創設外物部は更にみちのくまで後退したが・・・外物部、蝦夷連合軍の奮闘を感慨深く思いますなお当社は港の近くにあり現在は漁業神として尊崇されている模様。
式内社 越後國磐船郡 石船神社 旧県社御祭神: 饒速日命 水波女命 高靇神 闇靇神 (807年京都の貴船神社の3祭神を勧請) 社伝によれば、饒速日命は、天の磐樟舟(アメノイハクスフネ)に乗ってこの地に上陸し、航海・漁業・製塩・農耕・養蚕の技術を伝えになったと言われる。
大化四年(648)に磐舟柵が蝦夷征討の前進基地として築かれたが、既にこの頃から、磐舟という地名が存在しており、石祠があったとされる。
村上市岩船三日町に〔岩船神社〕があり、芭蕉句碑が2基ある。
花咲て七日鶴見る麓かな 文月や六日も常の夜には似す 〔文月や・・〕は元禄2年(1689)〔奥の細道〕の途次に詠まれた句。
名前 |
石船神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0254-56-7010 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
2022/07/12駐車場が封鎖。
仕方なく手前に駐車。
敷地内は結構広い。
社務所では御朱印が書き置きなので書いてもらえなかった。