一番高い位置に1633年に二代将軍徳川秀忠の供養の...
令和二年 京都初秋の旅 10月3日金戒光明寺 文殊塔金戒光明寺の三重塔(文殊塔)は、1633年(寛永10年)、徳川二代将軍秀忠の供養ために建立され(国の重要文化財)、黒谷の北西にあった中山宝幢寺(ほうどうじ)の本尊だった文殊菩薩像が安置された。
中山宝幢寺は応仁の乱の兵火で廃寺となり、本尊の文殊菩薩像は近くに建てられた小堂に祀られていたという。
1633年(寛永10年)に金戒光明寺の方丈に移され、三重塔が建立されると本尊として安置された。
文殊菩薩像と脇侍像は運慶作と伝えられています。
文殊菩薩像は、本堂に移されているのですが、高台にある立派なお堂です。
お堂の前から、京都市内を一望できるので、行く価値はあります。
この寺域で、一番高い位置に1633年に二代将軍徳川秀忠の供養の為建立された重要文化財ですね。
京都市内が一望できる気持のいいスポットです。
又石段の最下部の蓮池(兜之池)に架かる極楽橋も春日局が架けた木造の橋を、その時石橋に架け替えたそうです。
重文の立派な三重塔になります。
徳川秀忠の菩提を弔うために伊丹重好が建立されました。
今は方丈に移されましたが、文殊菩薩様は日本三大文殊菩薩のひとつに数えられております。
金戒光明寺の三重塔は、寛永10年(1633)に徳川秀忠の菩提を弔うために建立されたそうです。
塔内には中山文殊像を安置していたそうですが、現在は御影堂にお移ししています。
次回拝観した時は中山文殊の御朱印をいただきたいと思います。
三重の塔(文殊塔)は秀忠公を弔う為に建てられたとされており重要文化財です。
三重の塔に向かう坂を登って行き、途中振り返ると非常に見晴らし良く景色も良いです。幕末に会津藩が先ずこの地に入ったのは千人規模の兵を養える場所が有る事と、この地から遠く淀や山崎が見え、反幕府軍の動きが良く分かる為らしいです。三重の塔の裏(東側)には京都商工会議所の初代会長であり日本初の市街電車、京都電気鉄道会社の初代社長でも有る高木文平の大きな墓有ります。
その近く北側には清和天皇火葬塚有り宮内庁管轄です。清和天皇は言わずと知れた清和源氏のおおもとで末裔を名乗る徳川家と共に京都を守るには良い場所と成ったのでしょうか。
三重の塔より北側少し行った所には会津藩の墓所が有り、松平容保公の座像有ります。
この広い墓所は金戒光明寺の北東、鬼門に有ります。
歴史の重みを感じます。
名前 |
文殊塔 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.3 |
案内版:三重塔(国・重要文化財)この塔は、寛永十年(1633)に伊丹重好(豊永宗如堅斉)が以前に仕えていた二代将軍徳川秀忠公の菩提を弔う為に建立した。
当の内部には文殊菩薩が祀られていたが、平成二十年四月御影堂左脇壇に遷座された。
現在は本尊として文殊菩薩のご分身(浄鏡)をお祀りし左右の脇壇には、重好公とその両親、当山二十八世潮呑上人の木造が安置されている。
御影堂に遷座された文殊菩薩は、運慶作と伝えられ善財童子・優填王・最勝老人・仏陀波利三蔵を従えた渡海文殊形式で日本三文殊随一として信仰を集めている。
是非、御影堂へご参拝ください。
金戒光明寺 (現地説明版より)重要文化財(建造物)名称 : 金戒光明寺三重塔ふりがな : こんかいこうみょうじさんじゅうのとう員数 : 1基種別 : 近世以前/寺院時代 : 江戸前期年代 : 寛永11西暦 : 1634構造及び形式等 : 三間三重塔婆、本瓦葺指定番号 : 02037国宝・重文区分 : 重要文化財重文指定年月日 : 1977.06.27(昭和52.06.27)解説文:金戒光明寺は通称黒谷と呼ばれ、三重塔は墓地の背後に立つ。
塔は正統的な和様の手法になるもので、材料、工法とも優秀である。
構造や様式手法は江戸時代の特徴をよくあらわす。
「建塔記」が残されていて、建立の由緒が分かる。
江戸初期の塔の基準作といえる。
(文化庁:国指定文化財等データベースより)文殊菩薩と三重の塔古く、くろ谷の西にあった中山文殊が、江戸時代初期徳川秀忠公菩提の為に建立の三重の塔に安置されていたが、平成20年に御影堂に遷座された。
この本尊の文殊菩薩と脇士の像は運慶の作。
(金戒光明寺HPより)Guide version:Three-storied pagoda (National Important Cultural Property)This pagoda was built in 1633 by Shigeyoshi Itami (Nyokensai, Toyonaga Mune) to mourn the memory of the second shogun, Hidetada Tokugawa, who he had previously served. Manjusri Bodhisattva was originally enshrined inside the temple, but in April 2008, it was moved to the left side platform of Mieido. Currently, the principal image is the alter ego of Manjusri Bodhisattva (Pure Mirror), and on the left and right side altars are enshrined wooden statues of Prince Shigeyoshi, his parents, and Tozan 28th Shonen Shonin. The Bodhisattva Manjusri that was transferred to Mieido is said to have been created by Unkei, and is worshiped as one of the three Monjus in Japan in the form of a voyaging Manjusri accompanied by Zenzai-doji, King Yusai, the Most Shogun Elder, and Buddha Hari Sanzo. Please come and worship at Mieido. Konkai Komyoji Temple (from the local explanation version)Important cultural property (building)Name: Konkai Komyoji Temple Three-storied PagodaFurigana: Konkai Komyoji Sanju no ToNumber of members: 1 unitType: Pre-modern times/TemplesEra: Early Edo periodYear: Kanei 11Western calendar: 1634Structure and form: Three-room three-storied pagoda, tiled roofDesignation number: 02037National treasure/important cultural property classification: Important cultural propertyImportant monument designation date: 1977.06.27 (Showa 52.06.27)Explanatory text:Konkai Komyoji Temple is commonly known as Kuroya, and its three-story pagoda stands behind the cemetery. The pagoda is built in the traditional Japanese style, and the materials and construction methods are both excellent. The structure and stylistic techniques clearly reflect the characteristics of the Edo period. A record of the construction of the tower remains, which explains the history of its construction. It can be said to be the standard work for pagodas in the early Edo period.(From the Agency for Cultural Affairs: Nationally Designated Cultural Properties Database)Manjushri Bodhisattva and the three-storied pagodaIn ancient times, Nakayama Monju, which was located to the west of Kurodani, was enshrined in a three-story pagoda built for the sake of Tokugawa Hidetada in the early Edo period, but it was moved to Mieido in 2008. The principal image of Manjusri Bodhisattva and the Wakishi statues were created by Unkei. (From the Konkai Komyoji website)