枚方駅前にあるお寺です。
雰囲気が良い。
とくに観光目的で訪れるお寺ではなさそうです。
本堂は立派です。
浄土宗 究竟山 往生院 一乘寺河内西国三拾三所観世音順礼 第二番札所です。
枚方駅前にあるお寺です。
納骨堂が電車からも目を引きます。
寺伝によると元は山城の洛北一乗寺村にあった天台宗の寺院で(現在は浄土宗)、現在地が平安京の裏鬼門に当るところから移され、伝教大師最澄が阿弥陀仏と日吉大神の像を刻し、王城鎮護の寺社と定めた事に始まるという。
弘法大師も役行者、弁財天をの2像を安置、天下鎮護の祈祷をしたと伝える。
名前 |
一乗寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
072-841-3349 |
住所 |
|
評価 |
3.6 |
■宗 派 浄土宗 (元は天台宗)■本 尊 阿弥陀如来■山 号 究竟山■開 創 平安時代初期■住 所 枚方市岡南町3-16(元は山城の洛北一乗寺村)河内三十三所観音霊場 第2番枚方城主 本多氏の菩提寺最澄や弘法大師が像を安置したと言われている由緒あるお寺ですが、応仁の乱の戦火で焼失し、枚方城主の本多政康が1600年に本堂及び、日吉神社を再建しました。
一乗寺の大檀那(だいだんな)であった本多氏は奈良時代に渡来した百済王の末裔を称し、豊臣秀吉に仕えましたが、大坂夏の陣で徳川方に攻められ、枚方城は大阪城と運命を共にして落城、政康は戦死し本多氏は没落。
寺社は徳川氏に没収されますが、本多氏遺臣の尽力で復興します。
しかし当時の勢いは失われました。
政康の娘(乙御前)が秀吉の愛妾であった関係で、寺には豊臣家ゆかりの品が伝わっているそうですが、本多家没落後の乙御前については、記録が見当たりません、、、