江ノ電 極楽寺駅近くの民家の裏のほうにある 表...
室町時代に関東管領を務めた山内上杉家第五代にあたる守護大名の上杉憲方(うえすぎ のりまさ)の墓所の塔碑があります。
上杉憲方は1394年10月24日に享年60歳で死去したと言われています。
ただし墓所自体は同じ鎌倉市内のあじさい寺としても有名な明月院だとも言われており、実際にこちらにある墓所が本当かどうかは不明です。
こちらは江ノ電極楽寺駅から少し坂ノ下に向かって下ってくる方に向かうところ、道の右的に墓所をあらわす石碑があり、そこの階段を右手に登っていくとその奥に七層塔・五層塔がありそれが墓所だとされています。
実際にはどちらが...というのは歴史ロマンがある話ですが。
山内上杉氏の祖である上杉憲方の墓と伝わるが、実際は13世紀のものであり、年代的に合わない。
この地にあった西方寺の遺構と推測される。
上杉憲方は関東管領で山内上杉家5代目。
明月院の開基でもある。
諱の読みは「のりかた」「のりまさ」の両説がある。
極楽寺駅に近いこの場所に憲方一族の逆修塔と伝わる七層塔や五輪塔が散在する。
民家の間の奥まった場所にあるので歴史に興味がなければあえて訪れようという奇特な人は少ない。
苔むした石塔群がはるか600年も昔の歴史を感じさせる。
なお、明月院のにも憲方の墓と伝わる宝篋印塔があるが、こちらはやぐらの中にあるので保存状態が良い。
関東管領を務めた上杉憲方の墓です。
上杉憲方は南北朝時代から室町時代前期にかけての武将。
関東管領だった人物で、応永元年(1394年)10月24日に60歳で死去。
極楽寺駅近く に、上杉憲方夫妻の墓と伝わる七層塔・五層塔があります。
民家の裏にひっそりと立っています。
駅に近いです。
周辺は車や人が歩いていて賑やかですが、ここに来ると静かで時間の流れがゆっくりのような気分ななります。
御先祖様の墓所だと祖父から聴いていたので初めて参拝した。
近所の八百屋で花を買ってお供えし、ご挨拶の祈りを捧げた。
ここは誰かが墓守りをしてくれているみたいでとても綺麗に保たれている。
他には、明月院にも憲方の墓所であると伝えられている史跡がある。
約600年以上も保存されているということはありがたいことです。
たくさんいる子孫の一人として感謝いたします。
小さな石碑が立っている、アパートの脇の細い通路を上がった奥にあります。
江ノ電 極楽寺駅近くの民家の裏のほうにある 表通りからは分かりにくいが入り口に小さな石碑がある。
名前 |
伝上杉憲方墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
意外と見落としてしまいそうな立地。
墓…と言うよりも、供養塔なのかも?