怖いというよりも心が静かになる所でした。
北条高時腹切りやぐら / / .
新田義貞の鎌倉攻めの際に近隣の東勝寺で集団自決した北条高時はじめ一族870人あまりのための慰霊塔の様な意味合いを持つ場所。
又、鎌倉の有名な心霊スポット。
鎌倉幕府終焉の地。
この地で北条高時らが自害したとされています。
鎌倉の観光地から離れた場所にあるのでとてもひっそりとしていて、正直怖かったです。
現在奥への道は立ち入り禁止になってるので、入口付近までしか行けません。
何かが動く音が森の奥から聞こえたが、動物だったと思いたい…。
以前は昼1回奥まで行って 悲惨な時代でつくづく思っていました。
まだ夜一人で行って真っ暗で灯りを持ってなかったし見えにくいし落石あり立入禁止礼と縄があった為奥まで行けません。
昼間でも暗く不気味な雰囲気です。
10年以上前に、この斜め前の放置自転車受け取り場所に訪れた際に知りまして、参拝したことがあります。
当時は奥まで行けましたが、あまりにも怖くて足がすくみました。
無数の霊が洞穴の中で縮こまって、怯えながら?こちらを見ている。
のを感じました。
今行くと本当に寂しいところですね。
鎌倉時代には一堂伽藍が建っていたとは思えません。
もう少しここら辺を鎌倉市は整備して欲しいものです。
言わずと知れた鎌倉幕府最後の執権北条高時自刃終焉の地。
暴君、暗君だったとも。
ハイキングコースの登り口降り口になっており、ちょっとした洞穴に慰霊塔があるだけです。
歴オタなら感慨深い筈です。
ちなみに一緒に来た連れの友人は、目に見えない何かを感じとっていました。
💧😱😰
腹切り矢倉のある東勝寺跡は歴史的に貴重な史跡で寺院址なのにも関わらず2020年現在の市長が管理を怠り荒れ放題に荒れている。
関東十刹に列せられた大寺院の跡であり、鎌倉幕府最後の得宗だった北条高時公と金沢北条家の将兵を含めた一門が自決したとされる場所。
しかし北条高時公の御廟所は十二所側の明王院と瑞泉寺の反対側の谷に存在する事から、自決した後に家臣が首を持ち十二所に逃げたと通説通り考えるよりは、高時公本人と幹部は金沢の青ヶ台城に逃亡を計る途中で十二所で力尽きたと考えた方が自然だろう。
東勝寺ヶ谷の最奥にある、鎌倉幕府終焉の地。
新田義貞による鎌倉攻めの際に、北条高時ら北条一門が自刃した地と伝わる。
やぐらのある谷全体は、北条泰時により建立された東勝寺(北条氏の菩提寺でもある)のあった場所で、そこここに開削された地面が見られ、かなりの大寺であったことが伺える。
寺自体は高時自刃の際に焼失したが直ちに再建され、後に関東十刹となっているが、16世紀以降に廃寺となったと思われる。
なお、開削地の一部は鎌倉市の自転車保管場所になっており、時代の流れを感じる。
数年前の話ですが、中学2年生の頃に校外学習で行きました。
事前学習で心霊スポットだと知り、その時オカルトが好きだった事もあり、「心霊スポット!?行こうぜ!」と自分の提案で班で行く事になりました。
腹切りやぐらに行くまでの道がかなり険しく、運動不足だという事もあり、僕は班の一番後ろになっていました。
やっとの事で着いた瞬間、後ろから「○○ちゃん(当時のあだ名)」と名前を呼ばれ、思わずびっくりして班の一番前まで走って行きました。
僕は班の一番後ろだったので、僕の後ろに人がいる訳はないのです。
「誰か俺の名前呼んだ?」と聞いても、だれも呼んでないと答え、混乱しつつも手を合わせてその場を去りました。
そして帰ってきた当日の夜、原因不明の腹痛で嘔吐。
めちゃくちゃ辛かった。
翌日病院へ行って精密検査した所、なんと「虫垂炎」と診断され、即入院。
その時は薬で炎症を抑えるだけでしたが、数ヶ月後、再入院して手術しました。
当時は「盲腸の原因…?……釜揚げうどんの食いすぎか?」くらいに思ってましたが、腹切りやぐらに行った翌日に盲腸と診断されて最終的に手術して(腹を切っている)ため、「いや見事に祟られてるやんけ!!」と思っています。
もしこれが祟りや呪いだとしたら、人生初の霊体験です。
今では笑い話みたいな怪談になっています。
やっぱり遊び半分はだめだな。
民家の間や放置自転車預り所等を過ぎた所にいきなり現れる。
草ぼうぼうの場所。
こんなに狭い所で高時以下の武将達が自刃したのかと思うと感慨が湧く。
隣には東勝寺跡の空き地があるが、金網で囲われ無粋な感じ。
もう少し何とかならないかと思う。
2018年の初めは奥の北条高時さんらの供養塔まで入ってお参りできたのですが、2018年9月現在は崩落の危険から立入禁止ロープが張られ、入れなくなりました。
お参りはロープの所からするか、ここを管理する宝戒寺さんの徳崇大権現堂で北条高時さんの木像に手を合わせるのがよいと思われます。
なお、高時さんの木像は、北鎌倉の円覚寺の境内にある仏日庵にもあります。
Wikipediaによると、最後の戦場は葛西谷にある北条一族菩提寺の東勝寺に推移し、長崎思元、大仏貞直、金沢貞将らの奮戦むなしく、5月22日に北条高時らは自害、鎌倉幕府は滅亡した。
5月8日の生品明神における新田義貞挙兵からじつに半月という迅速さであった。
そして、元弘3年(1333年)6月、義貞は鎌倉を去り、上洛している。
新田義貞が鎌倉を去った事で、鎌倉は事実上足利が統治することになる。
このやぐらは、霊気がすごく感じる場所です!私は、ハイキングコースから阿弥陀如来の御真言を唱えながら参内しましたが、勤行途中でも何かを!!何と無意識に二度目の参内をしてしまいました。
何か自然と足が再度向いてしまいました。
南無阿弥陀佛!南無阿弥陀佛!南無阿弥陀佛!南無阿弥陀佛!南無阿弥陀仏!南無釈迦牟尼佛!南無釈迦牟尼佛!南無釈迦牟尼佛!南無釈迦牟尼佛!南無釈迦牟尼佛!
名前 |
北条高時腹切りやぐら |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.5 |
北条高時と言えば太平記の時の鶴ちゃんの名演技を思い出すなぁ‼️近くまで行って来ました‼️『足利、新田❕皆源氏ぞ▪▪▪▪』