冬なら神社階段上から江の島が見える。
正覚寺本堂脇の通路の先にある。
この地域は三浦道寸の弟である道香の居城である住吉城跡でもある。
永正10年(1513年)に北条早雲に攻められ落城した。
苔むした階段の他、右わきには奥行き10mほどの手掘りのトンネルがある(行き止まり。
スマホのライトをかざしながら進むと、結構スリルがある)。
相模住吉城跡でもあります。
神社の右手に小さな洞窟がありますが、行き止まりになってました。
趣のある苔階段、神社横にある隧道にロマンスを感じます。
この隧道でお殿様は逃げ延びたのかと。
トンネル(出口は行き止まり)は探検ごっこに面白いと思います。
崩落の恐れはあるので自己責任の上で。
雑草、虫が少ない冬季にライト持参で注意して入りましょう。
住吉城址に鎮座。
現在、雛壇状の上部に「住吉神社」が祀られ、住吉城址として一般に認知されつつあるが、実は昭和55年の発掘調査まで所在不明とされていた。
城としては背後の山一帯が城郭であり、裏側頂部の「ぼんばたけ」が主郭、東側の「げんじがやつ」に館があったとされる。
しかし、「ぼんばたけ」にはマンションが「げんじがやつ」には元総理大臣幣原喜重郎の別荘(現在の持ち主は知りません)が建ち、痕跡は残っていない。
また、住吉神社の社横にある洞窟は「住吉城の抜け穴」などの話が広まっているが、実際には明治から大正にかけて掘られた生活道路(隧道)前述の「幣原邸」が建てられた際に同地にあった山越えの隧道の使用が禁止された為(こちらは現在でも134号線側から邸への出入りに使用されている)新たに掘られた。
普通に逗子市史に載ってます。
あまり行く人が多くないのか、神社までの道のりが草木でうっそうとして歩きにくかった。
三浦家、北条家が争奪戦を繰り広げた住吉城址、そして住吉神社横の隧道は古東海道の切通しと伝わる。
逗子市教育委員会が様々な記載が残る城址にも関わらず、宅地開発を容認し三浦義澄公以来の城址の保護を行わなかった。
神奈川県教育委員会の中で横浜市教育委員会の小森良治に並ぶ史跡消失戦犯が逗子市教育委員会。
三浦家、北条家が争奪戦を繰り広げた住吉城址、そして住吉神社横の隧道は古東海道の切通しと伝わる。
逗子市教育委員会が様々な記載が残る城址にも関わらず、宅地開発を容認し三浦義澄公以来の城址の保護を行わなかった。
神奈川県教育委員会の中で横浜市教育委員会の小森良治に並ぶ史跡消失戦犯が逗子市教育委員会。
名前 |
住吉神社 |
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ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.4 |
冬なら神社階段上から江の島が見える。
夏は草木で見えにくい。
洞窟もある。
社と境内は小さい。
住吉城址跡との看板あり。
真偽は不明。
階段が苔むしていて滑りやすい。
普通の靴だと滑って怪我する可能性が大きい。