近くの沖の石とあわせて、行ってみるべきところかと思...
近くで見ると松の大きさに驚きました寶國寺の奥の小高い丘にあります民家も近いので、マナーを守って観てください。
東日本大震災の津波も大昔の津波も決してここには到達しませんでした。
近くには興石(沖の石)もあります。
こんな所にこんな史跡があるんですね。
すぐ下の方に観光駐車場があるのて、歩いて見に来れますよ。
知る人ぞ知る旧跡。
知らない人が見ればそんなもんかで済むところだが、なかなかどうして。
この地に縷々と蓄積された思いを感じずにはいられない。
ショボいと聞いていたので 期待せずに訪れたのですが 松の大きさに感動しました。
住宅街にひっそりと佇む名所旧跡。
古に想いを馳せる価値ある場所です。
ガイドマップまでにも容易には載っていないので、こんなところを知っていたら素敵ですよ。
観光地というよりは、住宅地の中にある名所。
看板で歴史的背景の説明がされている。
タイムトリップできるような素敵な場所でした。
歴史的などころの話ではない。
平安前期よりよ名所として知られるところが今もなおあるなんて、なんと素敵なことではないか。
夢ある場所です。
住宅街の小高い丘にありました。
立派なトイレ付き駐車場も完備です。
22.末の松山【芭蕉自筆影印】①おくの細道紀行文そ禮より 野田能玉川 沖の石を尋ぬ 末能松山盤 寺を造りて 末ー松=山と云 松のあひゝゝ(木々の間)皆墓原尓て 者年を可ハし枝をつらぬる(いつまでも変らない)契りの末も終(ツイ)尓盤可くのことき登 可なしさも増りて 塩可ま能浦耳入逢の可年を聞(それより、野田の玉川、沖の石を尋ぬ。
末の松山は、寺を造りて、末ー松=山と云。
松のあひゝゝ(木々の間)皆墓原にて、はねをかはし枝をつらぬる(いつまでも変らない)契りの末も終(ツイ)にはかくのごときと、かなしさも増りて、塩がまの浦に入逢のかねを聞。
)【芭蕉尋ね地】①末の松山多賀城市八幡②沖の石多賀城市《施設・句碑拡大写真はgoogle検索「芭蕉句碑の解読」》
夜に行きましたが、夜でも松の巨木がわかります。
立派❗の一言です。
奥の細道 第19の段 「末の松山・塩竃の浦」枕歌の地、枕歌は万葉集詠み人知らず「君をききて あだし心を わがもたば 末のまつ山 波もこえなん」に対して藤原元輔が「ちぎりなき かたみに袖を しぼりつつ すゑの松山 波こさじ」恋愛の歌です。
奥の細道で補足していて宝国寺の墓地に隣接してた 連理(れんり)の枝を有した2本の松が、愛し合う男女の行く末を暗示しているという趣を記しています。
清少納言の「ありがたきもの」を思い出しました。
失礼しました、既婚のオッサンの戯言と聞き流して下さい。
そうそう、最近紹介したもらったyoutubeで「藤原東子」さんの「枕草子」の動画はオススメですよ。
松は第9の段「雲巌寺」で登場し、藤原実方の笠島、武隈の松の句「二木」、この後に登場する西行戻し松もあります。
西行物語では、壺の碑、沼館(武隈の松の「岩沼宿」を指していると予想)を経て実方の御墓を訪れたとありますが、街道からみて順序が逆です。
これに倣って芭蕉も笠島と武隈の松を入れ替えたのではないかと考えます。
白河の関からここまで読み込んだ上で、さらに勝手な考えを書けばこの木は藤原実方と清少納言を暗示しているようにも見える。
男女は隔てるものがある方がいいのかもしれません。
この松は樹齢450年芭蕉の見た松と同じで現在も朽ちていない。
最近「枕草子」を読み返しました。
実方が陸奥守に命じられた年に書いた第77の段「頭の中将、すずろなるそら言を聞きて」同じ中将でも斉信と実方は格の違いを見せる。
(手前解釈)使者が語る言葉に斉信の忌む伊勢物語を引く事に怪しいと感じ、「蘭省花時錦帳下」下の句の問いに、一考して「草の庵をだれかたづねん」を炭で書きます。
清少納言はしみじみすごいですね、この歌の下の句は「廬山雨夜草庵中」(白詩文集)です。
斉信は「草の庵をだれかたづねん」に上の句を付けようとしますが、浮かびません。
実方ならば・・・と思ったかどうかは分かりませんが、炭を使うところに、「伊勢物語」斎宮との禁断の恋を書いた第69の段「君や来し」を引いているように思われます。
そう、「奥の細道」第9の段「雲巌寺」いつぞや聞こえ給う。
オッサン世代の人間はこういう好機をのがしませんね。
「逢坂の 関を越えれば 袖濡れる」位は知恵を絞って(上の句を)詠みますよ。
そして雨の中びしょ濡れで清少納言を訪ねるでしょう。
私の生まれた場所が近くにあり、先日、はじめて弟と訪ねました。
以前はこの近くの幼稚園に、通っており、松を見ながら感銘を承けました。
市道に無料観光駐車場あります。
8:30~17:00。
末の松山の横は正規な駐車場ではないようです。
いにしえの和歌に詠まれた場所かと思うと考え深いです。
松も立派です(^_^)/
百人一首で有名な末の松山です。
立派な松と綺麗な椿のコントラストがすてきでした。
すぐそばのお寺さまで、御朱印もいただきました。
末の松山の印も押してもらって、とても嬉しかったです。
訪れる事ができて大変満足しています!
和歌に興味のある人なら、近くの沖の石とあわせて、行ってみるべきところかと思います。
住宅地の中で、墓場もあり、ただ訪れるだけであればつまらないかも知れません。
小高い丘に、樹齢約500年の松の木が2本立っています。
石碑にはこの松が出てくる短歌が彫られており、古くから愛されているのがわかります。
1000年も昔に歌に詠まれた末の松山、見に行きました。
津波に飲まれなかったことで古来から有名ですが、この手前まで津波に飲まれたということの方が恐ろしいです。
「末の松山」を詠んだ歌「君をおきて あだし心を 我がもたば 末の松山 浪も越えなむ」(古今和歌集)
「沖の石」から北へ1分ほど歩くと「末の松山」に着く。
古来、大きな地震が起きても、津波はこの山を越すことはないと言われ、そのことを詠んだ和歌もある。
例えば、清原元輔(三十六歌仙の1人)の歌である「契りきなかたみに袖をしぼりつつ末の松山なみこさじとは」。
869年に起きた貞観地震のときも、この小山のふもとまでは来たが、越えることはなかったという。
It had been said that Tsunami, a tidal wave caused by an earthquake, would never go beyond this hill. This hill is only 10m high.写真に碑が見えるが、これには「君をおきてあだし心をわがもたばすゑの松山浪もこえなむ(古今和歌集東歌)」と刻まれている。
〔歌枕〕の一つであり、芭蕉は〔奥の細道〕の旅で、ここを訪ねている。
(奥の細道 ⇒ 沖の石)
名前 |
末の松山 |
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ジャンル |
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電話番号 |
022-368-1141 |
住所 |
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関連サイト |
http://www.city.tagajo.miyagi.jp/bunkazai/kurashi/shisetsu/shisetsu/bunkazai/064.html |
評価 |
3.9 |
ここは平安時代にすでに観光地として知られてたらしいななにも知らなかった自分が恥ずかしいです💦要はこの松山が津波に呑まれるようなことが起きたら世は終わりってことやな実際前の大震災の折りも津波はここまで到達せんかったらしい!いやはや…昔の人の着眼点はほんまに素晴らしいです。