地元の参照室になっています。
秋田藩元陣屋第一台場跡 / / .
①説明板より→嘉永六年(一八五三)のペリー来航や日米和親条約の締結といった内外の変化は日本の北方地域における緊張感の高まりを促した。
蝦夷地、更に北の樺太や国後・択捉島における領土の確立と誇示のため、幕府は蝦夷地の直轄化を決定し、東北諸藩に蝦夷地及び周辺地域での海岸警備を命じることとなった。
安政二年(一八五五)に幕府の名を受けた秋田藩は増毛、宗谷、樺太(シラヌシとクシュンコタン)の警備を言い渡され、同三年から元陣屋の構築が始まった。
最終的に陣屋は一一六〇坪に及び、十八棟の兵舎の他に兵具庫、武芸所、火薬庫、診療所等を備えた大規模なものとなった。
本陣となる元陣屋の東西には見晴らしの良い高台に台場が二か所設営され、砲台を設置して警備にあたったが、ここはそのうちの一つ、第一台場にあたる。
近海にロシアをはじめとした異国船が姿を見せた場合にすぐさま打ち払えるよう、大筒(和製大砲)の他に海外製のホイッスル砲などが装備された。
慶応三年(一八六七)、秋田藩は大凶作による財政支出の増加や京都守護を兼ねるための兵力の分散などから北方警備を遂行することが国難となり、警備の免除方を幕府に願い出る。
これが受け入れられ、足かけ十二年に及んだ秋田藩の北方警備は終了した。
②標柱の説明文→自 安政四年五月~至 慶応三年三月此の砲塁はドイツ製ホイッスル大砲一門及和製大砲三門を有し、烺火台、見張台有。
江戸時代のゲントヤの兵舎は現在、地元の参照室になっています。
入場料:400円(原文)元陣屋 江戶時的兵營據點現在是鄉土資料室。
入館參觀費400円。
秋田藩の北方警備のために設置された大砲跡の1つです。
陣地の東西に設置されたと書いてありましたがそれぞれかなり距離があるので広大な陣が築かれたんだなーと思いました。
ここからも海がよく見えますので大砲設置の場所に適した場所だったんだろうと思います。
今となってはかなりわかりづらい場所にあり、車で行くと場合によってはバックで出ることになるかもしれません。
異国船からの北方警備を命じられた秋田藩が1855年に設置した2か所の台場のうちの一つ。
留萌など北の海を臨む山にあって眺めがよく、異国船の来航に目を光らせていた武士たちの姿に思いを馳せることができます。
訪れたときはちょうど桜が咲いていてよかったのですが、住宅地の中に説明版と標柱が立っているだけなので、普段はちょっと味気ない感じがしそうです。
ちなみに、第二台場は増毛市街地南端の国道沿いの海岸近くの高台にあります。
名前 |
秋田藩元陣屋第一台場跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
秋田藩が12年間、北方警備の任務に当たっていたと記されています。