百済王神社を参拝した折には横手に大きな空きスペース...
飛鳥時代に建立された古代寺院である百済寺の跡。
6世紀末から7世紀初頭にかけて創建されたとされます。
当時、朝鮮半島の百済からの渡来人がこの地域に定住し、日本の文化や技術の発展に貢献しました。
その際に百済の文化や仏教を伝える拠点として建立されたのが百済寺とされています。
百済は仏教伝来の国として日本に大きな影響を与えました。
この寺院も、百済王族やその子孫、百済からの渡来人たちによって維持され、地域の仏教文化の発展に寄与したと考えられています。
現在は寺院の礎石や基壇跡などが残っており、当時の寺院の広さや配置を伺い知ることができる興味深い場所ですが、地元キッズ達の遊び場になっているのもとても良い感じです。
楠葉の自宅から1時ほど掛けてウォーキングで到着。
駐車場は史跡公園東側に縦列駐車でとめるタイプの駐車場がありました。
整備途中なのか東側の築地塀が綺麗に整備されていました。
創建時は3層の東塔、西塔が建っていたそうです。
簡単ながら透明ガラスに当時を想像した東塔、西塔、金堂の絵と復元された基礎を重ね合わせて撮影可能なスポットあり。
重ね合わせで撮影できるアイデアは悪くないが、ベストショットのアングルと距離感がなかなかつかめずに、膝を曲げてのピント合わせに苦労しました。
撮影用に椅子があればまだ便利かなと思うところ。
周りの風景は南門跡から南側は住宅や病院なのか大きな建物で風景が閉ざされ、せっかくの高台からの風景は想像するしかありません。
北方面は遠くに天王山や男山、国会議事堂のような大阪工業大学の建物が確認できました。
まだ中世のころは、おそらくは百済寺から百済王氏の邸宅群、さらに北には天皇家の狩場である禁野の森や摂関家の牧場、楠葉方面では土器の産地であったとのことですので煙りが立ち上った風景が広がっていたのかもしれません。
反対の北側は既述のとおり今は建物にふさがれいますが、枚方丘陵地、遠くは淀川の風景などがみえるのでしょうか。
枚方市内を広く見渡せる絶好の場所であることは間違いないようです。
百済王氏は河内守に就任を契機にこの場所に移ってきたそうです。
河内でも北の位置する枚方の丘陵地に移ってきた理由は私自身はわかっていないですが、歴史ロマンを感じさせてくれる場所です。
本格的にやるならVRやドローンで撮影した南側の風景を観れる仕組みがあるとより楽しめると思いました。
ちなみに百済神社の方にいくと枚方公園方面がみえるスポットがあります。
枚方公園方面の丘陵地は室町から安土桃山時代には浄土真宗の寺内町が展開していたそうです。
江戸期には京街道沿いに街が移ったそうなので、百済神社からはみえませんが、百済寺が創建された奈良時代から平安、安土桃山までの枚方の移り変わりを想像するのに百済寺、神社の場所は絶好の場所です。
2024年5月5日に行きました。
跡地にはたくさんの説明用看板や碑が作られており、丁寧に説明されているので分かりやすかったです。
百済王神社を参拝した折には横手に大きな空きスペースがあり百済寺の跡地が有ります。
金堂、東西塔、中門、南門 、講堂、食堂の各々の柱の台座が解ります。
ある程度の復元を狙っているのか工事中の雰囲気有りました。
前から気になっていた場所…やっと行けました。
街中にポッカリ広い公園…気持ちいいです。
ここ…大阪に2つしかない特別指定史跡の1つだそうです。
ちなみにもう1つは大阪城!きっとこの場所は歴史上、とても重要な場所なんでしょうね…遊具とかはないですが、広い場所に昔あった建物の基礎が再現されていて、大のおとなですが思わず登りたくなったほどなので子供は大喜びすると思います。
特に東塔跡が綺麗に造形されてて高さも高く、もともとこの場所自体が高台にあるのも手伝って、上に登って立つとかなり遠まで景色が見渡せました。
平安初期の桓武天皇の外戚の百済王氏の寺跡で、特別遺跡。
東西の3重の塔 金堂 講堂跡が残っています。
この付近は、平城京とおなじの方丈の街区が発掘されています。
この数年で、更に整備される予定です。
子供の頃ゎ近所に住んでたのでよく来てたんですが、引越したので大人になってからゎ初めて来ました。
『こんな感じだったのかなぁ』って(* ॑ ꒳ ॑ *)ゞ朱印帳とおみくじ、お参り。
気分転換できました。
(*'▽'*)♪
ここは今里から自転車🚲で行きましたよ‼️😀百済って名前の付く所は、ホントに沢山有りますね👍いい所ですね‼️😀
久しぶりに百済寺跡に散歩に来ました。
すがすがしい秋の空で広い寺跡で、人も少なくすがすがしい、いい気持ちでした。
百済王の末裔が建立した寺の跡。
現在遺構を復元中です。
ここの松は枚方八景にも指定されているので、ちゃんと整備して皆が来たい場所にして欲しいです。
広々として楽しい。
舞台の上を自由に歩いて見学できます。
トイレも隣の百済王神社にあります。
全てレプリカなんで昔からの趣きとかは無いですが広々していていい。
特別史跡らしいです。
特別の規定とかあるのか知りませんが歴史的なところなんでしょうか?今はなきお寺に想いを馳せる所が特別なのかも。
奈良時代に百済王の末裔がこの地に移り住み、神社とお寺を創建したのが始まりと言われています。
百済寺は、現在、礎石しか残っていませんが、東西の塔や金堂、講堂が並ぶ立派なお寺だったようです。
かなり広い跡地です。
昔は相当、立派なお寺だったのでしょう。
かなり整備されていますが駐車場がないのが残念です。
京阪宮之阪駅から徒歩10分、駅から標高差30mの高台にある。
住宅地に囲まれた遺構と神社の広々した歴史公園で、歴史的価値のある特色について説明がないので、もっぱら地域住民の散歩コースとしての役割となっている。
ついこの前の台風で公園の木々が倒されていましたまぁお昼時でしたので誰もいなかったのですが閑散とした場所です公園の際の石畳があるのですがちょっと足下が悪いのかして整備するのにその部分的な発掘をしております地表から60センチで当時の地盤です寺域からには外れてはいるのですが瓦が出土している見たいです石畳の場所を確認するのにはまだ暇がいりそうなのでしばらくはちょうどいい時間に行けば見れそうですよ?あまり撹乱等の乱れはありませんが遺構とおぼしきものなではなかったです。
特別史跡に指定されながらも今は殺伐とした風景。
どうやら再整備のための工事中のようだ。
史跡公園の一部が掘り起こされ、散歩する人達も居心地が悪そう。
寺跡の基壇を復元しているようなところもあるが、公園全体を整備するには相当時間がかかりそうだ。
遠方からでも人が訪れるような史跡観溢れるきれいな公園に、早く生まれ変わって欲しいものだ。
丁寧に保存されていただけでなく、神社の中にある説明が、日本と朝鮮半島との関わりに関して、すごく丁寧に解説してくれていて、まさに知りたかったことがここにある!と思って、すごく勉強になった。
大阪城に並ぶ史跡と聞いて訪問しました。
広い手入れされた広場という印象でした。
建物の基礎のような舞台があったので何か建てる予定があるんでしょうか?散歩をするにはいい場所という感想しか残りません。
初めて入りました。
七五三とか、登り立ってました。
発掘調査している所もあります。
何か今、建て替え中の模様。
犬連れて来ました。
まだ、造ってる最中でした。
緑豊かだったのに、なんにもなくなった。
名前 |
百済寺跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
072-840-2624 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.7 |
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枚方に越してから初詣は毎年百済で済ませてます。
境内は昔も今もあまり変わらずですが公園の方は整地もされ綺麗になりましたね。
明るい内ならワンコの散歩や家族連れで子供がはしゃいでる姿をよく見かけます。
また、百済復興?の為周囲に外壁が出来たので景観が綺麗になったと思います。