上杉謙信、北条氏康の関東三強がしのぎを削った城でも...
山城だけあり、しっかりとした山道です。
行くのなら、トレッキングシューズ推奨です。
二の曲輪辺りでスズメバチが大発生しているので、諦めて引き返しました。
ちょうど山道横の複数の木に巣があるようなので、危険ですので時期を外した方が良いかもしれません。
百穴の後訪れました。
鬱蒼としていますが、道は整えられています。
土と石なので靴に注意。
普通のスニーカーでも登れましたが、トレッキングシューズを履いてくれば良かったと思いました。
乾いた地面でも下りは滑りそうになるので、雨がちな日だと危ない感じです。
観光というよりハイキングです。
でも、ここにお城があったんだと想像しながら、曲輪をひとつひとつ巡っていると、感慨深かったです。
空堀と土塁も見事でした。
吉見百穴の駐車場にバイクを置いて見に行ってきました。
案内板脇の登城口から登っていくと、本曲輪に繋がります。
コンパクトなお城ですが、各曲輪が堀と土橋で巧妙に連結されていて技巧的で面白いですね。
ちなみに城攻め気分を得たいなら反対側根小屋虎口?方面から登ってくると良いかと。
武蔵松山城の築城は、新田義貞や上田友直など複数の説があります。
戦国期に北条氏綱が河越城を落とし、松山城を攻めた際は難波田氏が撃退し、松山城を失った扇谷上杉氏当主朝定の居城となり、拡張工事が行われたそうです。
しかし上杉朝定が河越夜戦で敗死し、扇谷上杉氏が滅亡すると、北条氏が城主となります。
扇谷上杉氏の再興を目指す太田資正に一度は奪還されますが、城代となった上田朝直が北条方へ寝返り、再度北条氏に渡ります。
その後上杉謙信の関東遠征により松山城が落ち、太田資正が城代となりますが、北条氏康と武田信玄の連合軍の前に陥落します。
この際、なかなか落ちない城に対して、武田氏が金堀衆を使って攻城を試みるも城方に露見し防がれたという伝説も残ります。
その後は上田氏の居城として北条氏の勢力下に置かれますが、豊臣秀吉の小田原征伐の際に前田利家、上杉景勝連合軍の包囲により落城、徳川家康の関東入封後は松平氏が治めますが転封し、川越藩領となり松山城は廃城されました。
事前の口コミで藪がすごいとのことで、1月上旬に行きました。
東松山駅からバスで5分程度、吉見百穴で下車します。
案内板のある本曲輪の背後から登ります。
冬場ということもあり落ち葉の量がすごいですが、下草が枯れており遺構が見やすく、これが夏場だと蚊や虫がすごいだろうとぞっとします。
絶対に冬場がおすすめの城です。
城域の半分が堀と言われるだけあって、本曲輪やニノ曲輪の堀切の高低差や三ノ曲輪の土塁など非常に見応えがあります。
特に三ノ曲輪は横長に広がっており馬出しや周囲の堀の高さなど見どころがたくさんあります。
オススメのコースは、本曲輪→ニノ曲輪→三ノ曲輪→曲輪4を出た後再度、曲輪4→三ノ曲輪→ニノ曲輪→本曲輪を往復するコースで、ゆっくりみて約1時間程です。
行きには見れなかった高低差をしっかりと感じることができ、本曲輪に向かって高くなって攻め手には攻略が難しいことが実感できます。
本曲輪に戻ったら兵糧倉→惣曲輪へと抜け最後に虎口を見学できます。
歴史的にも攻防戦が繰り返され、戦力上も重要な拠点だけあって関東の平山城でも屈指の規模です。
私有地ということもあってか、整備はそれほど進んでいませんが、少ない兵力でいかに有効に城を守るかという工夫の凝らされたお城です。
繰り返しになりますが、絶対に冬場がオススメの城です。
武田信玄、上杉謙信、北条氏康等、関東を巡る大名が幾多の戦いの舞台になった武蔵松山城。
ほぼ山全体に高低差を利用した曲輪が設けられており、その曲輪を大規模な空掘で守っています。
空掘は特に見応えがあり、北条流の直角的な横矢掛かりが多く見られます。
GWに行きましたが藪は然程無いものの、やはりブヨ等の虫は大量に出るので虫除け必須です。
吉見百穴に車を止め、Googleにある案内板の本郭直登ルートの登城口から上がりましたが割かし急登で滑りやすいです。
下山は根小屋口から出ましたが、こちらから登城する事をオススメします。
吉見百穴から左手に向かい、坂道を上がった民家の奥地に登城口がありますが、案内板はありません。
石垣を用いない関東特有の土城ですが、見応えはありますよ♪岩室観音堂の見事な竪堀は見れましたが立ち入り禁止でした。
また落葉の時期に登城してみたい城です。
松山城跡!とても素晴らしい所ですが春になると虫や蛇が出そうな所。
冬に行くのがいいと思う。
山内上杉氏や扇ヶ谷上杉氏、後北条氏、武田氏、上杉氏ら、関東における戦国の争いの主戦場であった大規模な城です。
埼玉の城で言うと鉢形城に比べると規模はやや小さいですが、それでもかなりの城です。
遺構も良好に残っており、往時の姿を偲ばせます。
三方を川に囲まれた丘陵地に構築されているため、攻めるのは大変だったことでしょう。
現に何度も攻囲戦を耐えているようです。
これからの季節、植物が減るので見学しやすいかと思いますが、落葉が大量に積もっており、滑りやすくなっていますのでお気をつけください。
吉見百穴の駐車場に車を停めて見学するのが良いかと思います。
小高い山の上にある山城の跡。
調べていない限りここの存在に気がつかないと思います。
道中は登山道のような感じなので動きやすい服装で来た方がいいでしょう。
山頂を中心に小規模ながらもかつての遺構をよく残しています。
ただし民有地なので雑草やガレキがあったりと不安な面も。
平日はあまり人気もないのでゆっくり自然を楽しむこともできます。
|Castle Ruins|
東松山駅からバスで15分ぐらいでしょうか。
山城入口の階段に説明文と地図が書いてあるので、地図を写真に撮って本曲輪まで攻城すると、もっと分かりやすい地図と説明文があるので、其方を頼りに攻城しましょう。
山城の城跡なので、冬場に行くのが機構が分かりやすく見えるので、オススメです。
西側の登城口から登りました。
少し急坂でしたが本丸まで割と早く辿り着きました。
本丸~二の丸~三の丸間の空堀が見物です。
城域の南側に複雑な土塁空堀が築かれてますが、大半が草木に埋もれていました。
技巧的な縄張が見られないのは勿体ないと思いました。
戦国関東を象徴する名城中の名城。
それにふさわしく曲輪を隔てる空堀の広いこと広いこと!そして深いこと深いこと!古城ファンはもちろん関東の戦国史に興味ある方にもぜひ訪れてほしい城です。
元々は扇谷上杉家の城であり、武田信玄、上杉謙信、北条氏康の関東三強がしのぎを削った城でもある。
紆余曲折を経て北条家の城に落ち着いたものの1590年の豊臣秀吉の小田原征伐で落城している。
自分の好きな関東三強の武将達がどの様に思いどのように戦ったのか思いを馳せるとすごく楽しいです。
ただ歴史的に重要拠点であった割には手入れがなされてない様に感じるので復元してくれたら嬉しいですね。
なんにもない。
それが良い。
天気も良かったし。
どこに在るか分かりづらい看板武蔵丘短大の後ろの山本当の山城! だった本曲輪の場所だけ石段在ったけどそれ以外は急斜面なのでちょっと覚悟して行った方がいい。
戦国時代、有名な松山城の戦いの舞台となった城。
コンパクトながら、当時の面影がよく残っているようで土塁や空堀、本丸跡、井戸跡がある。
吉見百穴の道をはさんで向かいの山にある平山城跡です。
城跡と言っても整備された道ではなく、人ひとりが通れるほどの細い山道を歩いていく感じなのでしっかりした履物で入山することをおすすめします。
地図を頼りに進まないと見落としや危険な道に入りかねないので注意が必要かもしれません。
(地図はネットや百穴などの観光施設で入手できます)あくまで「城跡」ですので、建造物的なものはありません。
初めて行きました。
ちゃんとした登山道でした。
山道で登るのが大変だったけど何とか登り切ることが出来たので良かったです。
下る時も足もとに気を付けながら滑り落ちない様にゆったり降りました。
本曲輪と二ノ曲輪の高低さが最大9mという。
とにかく急坂。
45度以上もある気がする。
下りることができないので二ノ曲輪、三ノ曲輪に行けず。
これが昔ながらの自然の姿なのでしょう。
こうしたあまり手の入らない状態もそれはそれでいいのかなと思う。
市野川に架かる橋の交差点脇に所在の當選寺の東側沿道に看板と階段(登山口だけ)が🈶。
山頂まで5分ちょっとの山道🚶西に位置し、当日車を停めた吉身百穴の広い🅿️からでも10~15分(実は訪問時は登山口を知らず坂を登った北からのルートで其方だと20~25分くらいu0026分かりづらい)。
遺構が残るのみで、山頂からの眺望も良好ではないものの、周辺は拓けているので場所によっては景色もまずまず。
頂上へ行くにはとても険しい道なき道を登る必要があります。
道はほとんど舗装されておらず、凸凹した箇所もあり正直危険です。
トレッキングポールがあれば登りやすくなるかも。
我が北条と上杉で何度も取り合いをした城、戦国末期には北条の城となりましたが、例に漏れず豊臣の小田原攻めの際に直江兼続らによって落城しましたコンパクトな山城ですがそれなりに遺構は残っていて、下草が多いながら深堀も歩けます、最初の登りが意外に急ですが距離は無いので頑張りましょう基本的には吉見百穴、岩室観音との三点セットですね車なら百穴の無料駐車場に停めて百穴を見て資料館で予習してから川沿いを歩き信号の先のかわいいお寺を見て横の登城口からアプローチが良いかな、その後降りて来てから岩室観音がオススメ古代、戦国、江戸、三つの時代を二時間程度で感じられる楽しい場所です。
埼玉県吉見町にある城跡。
市野川に三方を囲まれた舌状台地を利用した要害で、古くから扇谷上杉氏、後北条氏などの攻防の地として多くの戦乱の跡が刻まれた城です。
堀の跡が良好に残る遺跡として有名で、菅谷館や杉山城などとセットで比企城館跡群として国の史跡に指定されています。
とはいえなかなかのブッシュのため遺構が分かりづらい部分もありました。
秋口らしくスズメバチにも遭遇しましたのでしつかりとした山歩きの格好で行くべきと思います。
道なのか、道に見えるだけのとこなのか、とハラハラして進むと現れる遺構。
冬でこれなら夏はより歩き回りにくいかもしれない。
遺構自体は城跡好きの人は楽しめるので、ちょっともったいなく感じる。
そのもったいなさで星2つ。
城の説明・地図は掲示板はあったが紙で持って歩ける物はなかったように思える。
私は菅谷館で、松山城・小倉城・杉山城の説明の紙はゲットした。
参考までに。
面影が良く残っている遺跡です。
小さな城なのに、戦歴がすごいです。
整備する予算不足なのが残念です。
吉野百穴とセットで見せるくらいの工夫が必要でしょう。
12月。
東松山で用事を済ませたあと、歩道橋を渡ってるときに目についたので、散歩がてらに行ってみました。
標高67m、10分かからず頂上の本曲輪へ。
この日は風が強く、紅葉を終えた楓が散り舞っていて、その風景や遠くの山を見ながら一時間ほど楽しみました。
史実を詳しくは知りませんが、ここで戦いがあって人が殺し合ったのだと思うと、今のこの地があまりにも静寂すぎて、なんか思いを馳せてしまぅ。
帰り、岩室観音堂の方へ下るときは足元に注意が必要です。
枝に引っかかって落ちた日には多分病院送りです。
行ってみました。
他の方も書いていらっしゃいますが、地図があると現在地、行き先が分かり易いです。
岩室観音堂からは急峻で、路面が乾いていないと大変滑り易い。
また獣道を歩くようなものなので、長袖長ズボン、滑り止めのついた靴が必要です。
軽登山とは言わないまでもハイキングくらいの格好は必要です。
私は朝方までの雨で地面が湿っていたので、バイク用ブーツでは苦労しました。
本曲輪、二の曲輪、三の曲輪、四の曲輪など結構広さがあります。
駐車場は隣にある吉見百穴の無料駐車場に停めると便利です。
城跡の外周に5箇所ほど登り口が有る様ですが、その内3箇所は入り口が分かり易そうです。
案内看板も所々に設置されています。
全体図は隣の吉見百穴の資料館のものが一番詳しい様です。
有る程度の下草刈り等はなされているようですが、道は獣道に近いので雨の日の土の露出箇所や落ち葉のシーズンの落ち葉が結構滑ります。
各曲輪は割と広く、頂上部の本曲輪の辺りからは若干の展望が開けてます。
石碑は倒れたままとなっています。
遺構は堀や曲輪など、結構残ってますが、木の葉が生い茂ってると見えないので真冬が良いかもしれません。
夏、秋ごろの登城は止めた方が良いです。
武田晴信、上杉政虎、北条氏康と戦国時代の名将が奪いあった城です。
名前 |
武蔵松山城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0493-54-1511 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.town.yoshimi.saitama.jp/soshiki/shogaigakushuk/7/431.html |
評価 |
3.6 |
城跡ですが、歴史に燦然と輝く城ではあります。
登る道も険しく、道なき道に近く、暑い日に行くのは辛いかもしれません。
近くの売店に売っている御城印は、確実に手に入れたいものです!