古くから五穀生産衣食住の守護神として知られている。
当社の祭神は、倉稲魂命(うかのみたまのみこと)で、古くから五穀生産衣食住の守護神として知られている。
そのはじめは、江戸時代の初期に、村松村美和神社の神主小島刑部が、今泉村に小社を建立したのによるものと伝えられている。
さらに慶長十八年(1613)今泉村常木(現在地)に遷座し、稲荷明神として村民から崇敬され、後に刑部の弟小島民部が神主となった。
正保四年(1647)九月十三日火災のため社殿が全焼し、このとき、内陣にあった幣帛が、たちまち空に舞い上がり、神木の枝に止まった。
これを見た村民は、不思議に思い群集して礼拝したといわれている。
民部の息子権之助がこの幣帛を下ろして仮屋に奉遷した。
これ以後、当社の神徳の高いことが評判となって、参詣者が多くなり、翌慶安元年(1648)には、社殿が再建された。
また正徳三年(1713)にも社殿を建替え、同五年(1715)正一位に叙せられた。
こうして当社は、今泉村の氏神であったばかりでなく、桐生新町の町民にも崇敬され、祭礼の日には、全町神灯をかかげて祝ったということである。
なお嘉永元年に、当社の神主小島氏が、江戸域内で行われた、将軍の病気平癒の祈祷に、精進したともいわれている。
明治初年ふたたび火災にあい、社殿を焼失したが、翌二年再建され、今日に至った。
さらに同四三年七月諏訪神社・八坂神社などを合祀し、大正八年四月村社となった。
住宅街の中にある小さな神社ですが、地域活動も活発な様子です。
御朱印は社殿右の社務所にて300円で頂きました。
住宅の中にある稲荷神社。
小さな神社だけど、赴きがあって素敵な神社でした。
御朱印は直書きで、初穂料300円でした。
市内住宅地に建つ小さなお社だよ~🤗 生活感の無い静けさだぞ🤭 駐車場は数十台で何と無料😉 御朱印は300円也🤗 地域に愛されてるお社でした😉
街の中の小さな神社様、御朱印頂けました。
氏神様なので、よく参拝させていただいてます。
小さな神社ですが、雰囲気がとても良くて大好きです。
紅葉もとても綺麗です。
毎月1日の朝お参りに行くとお清めの塩が置いてあるなど、とても良心的です。
賽銭箱横に御神籤が置いてあり、50円でいつでもお言葉をいただけるのも有難いです。
いつもの感謝を込めて、投稿させていただきました。
宮司様の話し為になりました。
常祇稲荷神社(つねぎいなりじんじゃ)御祭神 倉稲魂命配祀神 健御名方神 伊弉冊命 迦具土命 彦狭島命 速須佐々男命 誉田別命 栲機千々姫命由緒当社のはじめは、江戸時代の初期に、村松村美和神社の神主小島刑部が、今泉村に小社を建立したことによるものと伝えられています。
慶長十八年(1613)今泉村常木(現在地)に遷座し、稲荷明神として村民から崇敬され、後に刑部の弟小島民部が神主となりました。
正保四年(1647)九月十三日火災のため社殿が全焼したとき、内陣にあった幣帛が空に舞い上がり、神木の枝に止まりました。
これを見た村民は不思議に思い群集して礼拝したといわれています。
民部の息子権之助がこの幣帛を下ろして仮屋に奉遷しました。
これ以後、当社の神徳の高いことが評判となって参詣者が多くなり、翌慶安元年(1648)には、社殿が再建されました。
また正徳三年(1713)にも社殿を建替え、同五年(1715)正一位に叙せられました。
こうして当社は、今泉村の氏神であったばかりでなく、桐生新町の町民にも崇敬され、祭礼の日には、全町神灯をかかげて祝ったといわれています。
なお嘉永元年(1848)に、当社の神主小島氏が、江戸域内で行われた将軍の病気平癒の祈祷に、精進したともいわれています。
明治初年(1868)再び火災に遭い社殿を焼失しましたが、翌二年再建され今日に至ります。
明治四十三年(1910)七月諏訪神社・八坂神社などを合祀し、大正八年(1919)四月村社となりました。
(常祇稲荷神社由緒書より)
街中にある、小さなお稲荷さん。
社務所で御朱印頂きました。
¥300
お正月、暗い時間に行くと幻想的ですよ。
住宅街の小さなお稲荷さん🦊🅿は⛩️横に有り。
残念です。
宮司が不在の為御朱印が頂けませんでした。
鳥居小さく参道も駐車場に押されちいさな可愛い神社です❗
周辺は一方通行が多いので注意です。
御朱印も有ります。
車椅子対応稲荷神社、祭殿まで金属製のスロープがあります!
名前 |
常祇稲荷神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0277-44-5972 |
住所 |
|
評価 |
3.8 |
一方通行だったりするので 車の方はお気を付け下さい駐車場はありますゆっくり参拝出来ます御朱印も直書きして頂けました。