桐生工業の横手にあります。
私の産土神社です。
幼い頃から親しんだ大好きな神社⛩️です。
(自身の産土神社は神社省で調べられます)こちらには幾つかの神社があります。
鳥居をくぐり、太鼓橋をわたる手前右側に織神社⛩️があります。
織物の町として栄えた桐生ならでは。
他稲荷神社宝船神社神明宮天満宮の奥には代々の天満宮があり見られます。
是非、ご覧になってください。
群馬の友人に会いに行ったら、物凄く神秘的な場所に連れていってもらいました!!一番ビックリした部分を最初に言っちゃいます、、、本殿の裏の部分の細工が凄かったです(^-^)なかなか、あの細かい細工がある建物は見たことがありません、、、!!!境内には水車があったり、何かを行うであろう舞台があったりりと、見処満載の神社になっておりました。
境内には車を停められるスペースもあり、是非皆様には足を運んで頂きたいなと思える場所でした⭐
立派な神社様。
主祭神は菅原道真公。
多くの文化財や歴史資料があります。
鳥居の横から境内の駐車場に入れるが、少し判りにくいので地図や画像での予習をお勧めします。
御朱印は参道沿いの宮司様のご自宅で書き置きを拝受。
兼務社の美和神社様の御朱印もこちらで。
感じの良い奥様?に対応していただきました。
授与所も兼ねているようです。
私には聖地で観光地の非日の場。
でも近所の子供には日常。
小学生の通学路になっているようでした。
この桐生天満宮は桐生市街に入り駅を左手に石畳がある旧市街エリア、桐生工業の横手にあります。
足利在住の私なのですが、初めての訪問になりまして、話によりますと大層霊験あらたかとのこと。
受験等では尋常じゃないご利益があると力説している知人がいたのですが、実際に来てみると他の寺社仏閣でお参りする人と比べてこの天満宮でお参りしている人は本堂の前で拝み、祈る時間がとても長く、中には行列を無視して2.3分本堂に祈る人も散見され、尋常じゃないご利益の噂は間違えではないのかもしれないとうっすら感じました。
桐生天満宮の周辺には蔵や館のような古い建物も多く、かつての桐生の中心地であったことがとても良くわかります。
蔵を改装してカフェやお店にしているところも多かったのでランチ時には賑が垣間見えました。
とても素晴らしかったです!
群馬県は桐生市に鎮座します「桐生天満宮」です。
国指定重要文化財になっているとの事で見学です。
宇都宮市~桐生市に車中泊旅で流れて来ました。
桐生市では「宝徳寺」などと合わせて訪問しました。
(宝徳寺もここ桐生天満宮と同じく武家の桐生氏が関係しています)桐生天満宮の創建年は伝承では有りますが、かなり古く景行天皇の時代(西暦71年~西暦130年)の間と伝わります。
古いですね。
約1900年前後ぐらいの歴史です。
凄い。
ただこの神社は今のこの場所には無かった様です。
時代は下がり南北朝時代の初期、先にも書いた桐生氏がこの地を所領とし治め、武将•桐生綱元(桐生氏の祖)が、今のこの場所に神社を移し天満宮となったとか。
(武家•桐生氏の本姓は藤原氏北家)さらに時代は下がり、江戸時代には徳川家の祈願所だったらしいです。
本殿の裏側辺りには非常に緻密かつ荘厳な木彫が彫られており壮観でした。
素晴らしい。
これはね、見る価値有りですよ。
因みにこの本殿は江戸時代中期の1789年に建造された物とか。
近くで桐生の御当地ラーメンである餃子ラーメンでも食べて、ブラリと訪れてみましょう。
自分はキッチリ頂いて帰りました。
また、自分が行った時は境内で骨董市が丁度開催されていました。
自分はビール呑み用に信楽焼のコップを二つ買わせて頂きました。
まぁまぁ値切ってスミマセン。
でも…それが骨董市での楽しみですよね。
(コップの裏を見ると…カタカナの【ツ】の様な引掻き銘が有りますが、作家さんが誰だか分かりません)桐生市良きかな。
桐生駅からテクテク歩いて辿り着いた桐生天満宮。
何気に見どころ満載でぐるりと一周しました。
朝早い時間に行ったので、人気も無く静かな空間で良い感じでした。
1月4日の正午過ぎに初の参拝。
混雑なくスムーズにお参りし、御守りを購入しました。
駐車場は神社横と奥にあり、どちらも砂利駐車場です。
空きスペースもあり直ぐに駐車出来ました。
桐生で御朱印巡り五番目に伺いました。
静かな参道を歩き参拝させて頂きました。
なかなか立派な神社で当日は七五三詣での家族もいて、可愛い姿に癒されました。
御朱印は書き置きで境内社合わせて三種類頂きました。
静かな雰囲気の神社です。
境内は立派な彫刻の建物に目が行くと思います。
桐生天満宮は風水的に良い立地らしいので、色々とパワーを貰えるかも知れません。
桐生駅北口から徒歩約30分位の所にあります。
すぐ近くに群大桐生キャンパスがあるので解りやすいかなと思います。
境内は広々としていて、落ち着きます。
御朱印は、コロナの為現在書き置きのみですが丁寧に対応して頂けました。
桐生の南北を貫く大通り正面に鳥居があり、昔はここが町の北端だったような位置にあります。
鳥居の先には駐車できるスペースもあります。
天満宮ですので、祭神は菅原道真公になります。
本殿等の建物は色合いはなく木の色の茶色一色ですが、細部にまで彫刻が彫られており、見ごたえがあります。
神楽殿もぜひ見ていきたい施設です。
桐生市の代表的な神社です。
桐生新町の起点となっています。
まっすぐと伸びた参道が清々しい桐生一の神社。
お詣りはできますが、コロナ感染対策のためお守りの販売は宮司自宅でおこなっています。
蚊などが多いので虫除け対策が必要です。
彫刻が素晴らしいです⁉️榛名神社の彫刻を手掛けた、上州の左甚五郎と言われた、関口文治郎さんの作品です。
細かい部分まで彫ってあり大変素晴らしいです⁉️色付けされれば更に凄いと思います⁉️
通り沿いの細長い敷地に境内が広がり、神橋や神楽殿らしきものも。
ふらっと立ち寄っただけですが、由緒ある立派な神社でした。
威風堂々としていて町の顔という感じの神社です。
御朱印は印刷でした(^_^;)
今日参拝しました、境内がよく気持ちがおちつき、参拝が出来ました、また御朱印もいただきました、よかったです。
境内は綺麗に清掃がしてあり、とても清々しい気持ちになれます。
群馬大学工学部の前にある関東五大天神の地元でも有名な桐生天満宮です。
御祭神は菅原道真公です。
学業の神様なので、合格お守りなど種類も豊富ですよ。
写真撮影目的の方は社殿前には入らないで下さいとのことでした。
はい。
了解しました。
本殿の彫刻が見事です。
綺麗で丁寧な御朱印は宮司宅で受領できました。
Google先生を利用して御朱印をいただける神社を探していたら表示されました。
地理的にも静かな雰囲気です。
本殿の他にも社があったので、参拝してきました。
御朱印は、社務所兼自宅です。
チャイムを押して要件を伝えたら記帳してもらえました。
玄関横にお守りなども置いてあり、購入できます。
本殿の彫刻がお見事😲二の⛩️左側の宮司さん🏠でご朱印はいただけます、すぐ近くの美和神社もいただけます。
⛩️の横から🚗では入れます。
本殿の後に🚻有り。
歴史と文化の街に相応しい佇まいでした。
息子の受験の合格祈願しました。
見事に推薦で合格頂きました。
有り難うございました。
閑静で良い。
ご利益ありました。
静かな所に行きたい、そんな時にいいです。
春夏秋冬、ひとりでも、ひとりじゃなくても、しばらくの間、喧騒から逃れて過ごせます。
コンビニは少し離れたところにあります。
天満宮。
通称は桐生天満宮。
御祭神は天穂日命、菅原道真公。
関東五大天神の一つとのことだが、関東三大天神には含まれない。
因みに関東三大天神は下に記します。
湯島天満宮(東京都文京区)亀戸天神社(東京都江東区)谷保天満宮(東京都国立市)
2019年11月下旬、銀杏の紅葉が綺麗でした。
綺麗だけど落ち葉の量は半端ないです。
落ち葉を誰か片付ける人がいるのかな?ぎんなん拾いをしてる人がいました。
第1土曜には境内で関東三大骨董市のひとつと称される桐生天満宮古民具骨董市が開催されます。
但し、1月・8月・11月は要確認。
初詣、七五三、学問の神様なので受験の祈願に多くの人が訪れます。
御朱印は宮司さんの自宅で呼び鈴を鳴らして貰えます。
東京から御朱印帳バスツアーで訪れるコースに入ってるというので驚きました。
御祭神 天穂日命 菅原道真公 祓戸四柱(瀬織津姫神・速開都姫神・気吹戸主神・速佐須良姫神)由緒・歴史当宮の起源は、第十二代の景行天皇の時代に、上毛野国造が天穂日命を奉斎した磯部明神であり、その後幾多の星霜を経て、文治三年(1187)から当地を支配した桐生家が代々の守護神として崇敬し、観応年間(1350頃)には、京都より北野天満宮の御分霊を合祀して「桐生天満宮」と改称し、桐生領五十四ケ村の総鎮守と定められました。
天正九年(1581)に徳川家康公が東征の折りには、徳川家代々の祈願所として朱印地を賜わり、天正十九年(1591)には、桐生新町の宿頭として整備され、境内地や社殿は壮大なものとなりました。
慶長五年(1600)の関ケ原合戦には、軍旗に用いる旗絹を当宮の御神前に供えて戦勝祈願し、その勝利凱旋を吉例として境内には織物市が開設され、後の桐生織物繁栄の礎となりました。
社殿は安永七年(1778)に起工して寛政五年(1793)に落成したもので、「岩の上の天神」と称されるように、本殿・幣殿は岩の上に建ち、社殿すべてが当時の建築装飾技術の粋を集めた建造物として、群馬県指定の重要文化財となっています。
群馬県指定重要文化財「天満宮社殿(本殿・幣殿・拝殿)」天満宮は、桐生新町の宿頭として、天正十九年(1591)下久方村宮内から現在地「赤城の森」に遷座したといわれ、荒戸新町(のちの桐生新町)の起点となった神社であり、旧桐生領五十四ヵ村の総鎮守格でした。
本殿・幣殿の外壁には極彩色の精巧かつ華麗な彫刻が施されており、内部にも同様な彫刻とともに壁画も描かれています。
桐生市指定重要文化財「末社春日社」末社春日社は、本殿の後方に南面して建つもので、一間社流造りの小規模な社殿です。
県内における類似する建物としては、板倉町の雷電社末社稲荷社社殿があり、象鼻彫刻が発生した早期の建築と考えられます。
建築年代は天正(1573)から慶長(1615)年間と推定され、現存する桐生市内の建造物としては最古のものであり、当地方における古建築の遺例として貴重です。
(「桐生天満宮公式HP」より)境内には、一の大鳥居を潜り、直進して二の鳥居を通った右手に「機神神社」があります。
参道は「太鼓橋」に続き、その右手に「水車」、橋を過ぎてすぐ左手に「財福稲荷神社」があります。
正面の「表神門」前左手に「願掛撫牛」、そのまま左に進んで「七福神宝船神社」があり、並んで奥に「神楽殿」があります。
本殿の素晴らしい彫刻を拝見しながら裏手に回ると「天満宮末社春日社」があり、社殿右奥には「神明宮直日神社」があります。
桐生の民話では、当地「桐生天満宮」と、桐生市梅田町五丁目の「石鴨天満宮」に関連した「天神様の由来」が伝わっています。
神恩感謝⚡天神大神 ( 頭の神様 )桐生総鎮守 桐生地主神 大宰府天満宮、北野天満宮、湯島天神などでなくてもご近所の天満宮で願いは通じるようです。
学問の祈願だけでなく悪に負けそうなときや不正な輩に潰されそうなときもお願いすると火雷天神様と菅原天神様の御利益で悪や不正に打ち勝てる力を授かるようです。
鳥居脇の狭い入り口、出入りが困難。
本殿の美しい彫刻は必見。
巨大な御神木も晩秋には綺麗だろう。
御朱印は参道脇の宮司さん宅へ。
桐生の発展の元となった、とても歴史を感じさせる神社です。
月始めの土曜日に骨董市が開かれ、紗綾市とともににぎわいます。
日曜日なのに参拝者がいない…社務所はほぼしまってる宮司さんの自宅でお守りなどうってました御朱印もそこで、書き置きでした( ̄。 ̄;)
神社の杜が気持ちいい風を運んでいます。
本殿の彫刻が歴史を感じられます。
名前 |
桐生天満宮 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0277-22-3628 |
住所 |
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評価 |
4.0 |
二度目の参拝、日に照らされたイチョウの葉が綺麗でした。
彫刻もやはり素晴らしい!