鳥居横の大ケヤキが見事です。
御祭神 木花咲耶姫命この社は一説に、「上野国神名帳」に見える利根郡二十一社の一つ、正五位小用(こもちい)明神といわれています。
古くは字宮平にありましたが、川田城の守りを固めるため現在地に遷座したと言われています。
御神木の大ケヤキはその頃に植えられたか、あるいは自然木を社木にしたのではないかと想像されています。
天正十三年(1585)、北条勢の沼田攻めで川田城主山名義季の子主水は討死し、その折りこの社の社殿も焼失しました。
現在の社殿は享保四年(1719)の再建です。
(平凡社「群馬県の地名」より)群馬県指定天然記念物「川田神社の大ケヤキ」目通り9.28m、根元廻り12.05m、樹高12.53m、枝張り東西22.50m、南北11.55m。
指定時は県下でも屈指のケヤキの巨樹でした。
樹齢は500年以上と推定されます。
ケヤキはニレ科に属し、日本の特産種であり、山中に多い落葉樹で大木になります。
(境内案内板より)御神木の大ケヤキには他にも伝説があります。
昔、若狭の国の八百比丘尼という尼僧がこの地へ巡賜のみぎりに植えた三本のけやきの生き残った一本だといわれています。
八百比丘尼は何百年たっても年をとらず、道をかけ、橋を渡し、病苦の人を救い、多くの人々を助けたといいます。
又一説にこの村を開発した人の墓を後世の人に知らせるために、墓印として植えたものだともいわれています。
(サイト「沼田藩」参照)境内の浅間神社境内右後方に二基の御神燈の奥に台座含めて高さが約1.7mの石祠があります。
石祠はかなり古いものですが文字類は刻まれていません。
『沼田市史 別巻2 沼田の建造物』の中の川田神社の記述で、この石祠が浅間神社であることが分かります。
この浅間神社は古くは「浅間様」と呼ばれ「お富士詣り」の対象となっていました。
旧月夜野町(旧桃野村、古馬牧村)と沼田市(旧川田村、旧薄根村)を中心として、古くからお富士詣りという習慣があり、男女問わず七歳になった旧六月十五日に近くの富士山、富士塚、浅間神社にお詣りする行事です。
かってはこの浅間様もお富士詣りで賑わったようですが、現在ではその行事は廃れてしまったようです。
(「群馬県の富士塚を訪ねて」より)
上野国神名帳の小用明神と比定する神社と伝わります。
名前 |
川田神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.6 |
鳥居横の大ケヤキが見事です。
パワーがもらえそう。