写経を納めた記念に造られた経典供養の塚。
名前 |
平尾原経塚 |
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ジャンル |
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電話番号 |
042-377-2121 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト |
https://www.city.inagi.tokyo.jp/kanko/rekishi/inagishibunkazai/inagi_bunkazai/hiraoharakyouduka.html |
評価 |
2.5 |
●平尾原 経塚 文字塔 江戸時代中期、宝永五年(1708年)建立 (市・経典供養塔第1号)日本国六十余州の霊場を行脚し、写経を納めた記念に造られた経典供養の塚。
(稲城市指定文化財)元々は現在の位置ではなく、平成四年に建物建設のため(隣の山王ビル)約20mほど農協平尾支店寄りに移設された。
(平成2年写真参照)同じ敷地内には、●庚申堂 板状駒型 青面金剛一面六手合掌型 三猿正面 「于時元禄六癸酉年九月拾」(1693)右側 「奉新造庚申尊供 安穏後生」 と刻 平尾では古い時代の庚申塔 (市・庚申塔第5号)●馬頭観音 角柱型「馬頭観世音」 台石には「馬持中」「嘉永五子□二月祥日」(1852) と彫 (市・馬頭観音第31号)教育委員会の石造物調査によって、市内最古の経典供養塔であることが判明し、石碑に刻まれた「数殊一切施主等不残記之入壱安置石仏下」の銘文により、昭和51年経塚の発掘調査が行われた。
塚自体の大きさは約6メートル×4.5メートルの楕円形、約70センチの高さをもち、塚の頂部から約20センチ南に下がった所に経典供養塔が建てられていました。
発掘調査は塚の頂部の盛土を剥ぐことから始め、表土の下には河原石と思われる白然礫が敷かれ、約1メートルほど掘り下げると地山(ローム層)に当たり、この地山を掘り込んで径1メートル程の円形の土壙が発見された。
土壙内には備前焼の大型の甕(高さ32.7センチ、口縁径32.5センチ)が置かれ、この中に青銅製の経筒(高さ30.5センチ、径17.7センチ)が納められていました。
経筒のフタの上に木片らしき痕跡が認められたため甕には木製のフタが付いていたのかもしれません。
経筒内からは3個の経箱と和鏡、そして腐敗した経典と思われる遺物が発見されました。
経箱は3点とも木箱であり、この中に経典が納められていたのですが、水分によって腐敗が著しく、経典を取り出して広げることはできませんでした。
経箱のフタの一つからは「武州豊嶋郡氏□」「傳心」と書かれた墨書が発見されました。
和鏡は径6.5センチの青銅製のもので、小形ながら完全なものです。
このほかに経筒内遺物として経巻の軸先2点、寛永通宝1点が発見されました。
六十六部回国経塚の発掘報告例が少ない現在、発掘調査により遺物と石碑文との関係が明らかになったことは大変貴重な成果と言えます。