ふと、見付けたこの史跡。
名前 |
寺家遺跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.hakui.lg.jp/soshiki/kyouikuiinkai/bunkazaishitsu/4/2/index.html |
評価 |
3.3 |
ふと、見付けたこの史跡。
こんな所に史跡なんかあったっけ?また、誰かが間違えてピンを点てたのかと思いながらも、検索!!2件ヒット! マジ、この場所が史跡らしい!? ざっくりと内容は分ったが…案内板がかろうじて1枚有るらしいが…ストビでは確認出来ず。
写真がアップされてたので写真から、どうも、羽咋市教育委員会が絡んでるとの事なので、更に深堀!すると…2012年1月24日の官報告示により国の史跡に指定されたとの事。
なんか凄い!!羽咋市教育委員会)文化財課のHPから引用:1978年の能登有料道路建設工事(現:里山里海街道)の際に発見され、その発掘調査から、奈良・平安時代(8・9世紀)の古代神社や祭祀(さいし:祈りや祭りのこと)に関連する遺跡として全国的にも知られる重要な遺跡(「なぎさの正倉院」とも呼ばれている様です)で、古代の神社に関連した建物跡や祭祀を行った祭祀場などのほか、銅鏡や銅鈴などの銅製品、鉄鐸や鉄刀などの鉄製品、勾玉、土馬、三彩陶器など当時の国家との関係を示唆する多彩な祭祀遺物が多数出土しました。
また、出土した墨書土器には、「宮厨」「宮」「司」「司舘」「神」「奉」などがあり、古代神社や神祇信仰と関係する遺跡であると考えられます。
こうした古代の神社や祭祀に関連した遺構や遺物が総合的に見つかった遺跡は全国的にほとんど類例がありません。
文献史料をみると、この地域には、古代から気多神社が存在したことが知られており、「万葉集」では、天平20年(748年)に越中国司の大伴家持が「気太神宮」へ巡行した記載があるなど、当時の国家から重視されていたと考えられます。
同時期に存在したと考えられる寺家遺跡は、古代の気多神社と深く関わる遺跡と推測されます。
で、1000箱に及ぶ多くの出土品は現在も石川県と羽咋市に保存/調査がされている様。
なので、史跡として、大規模調査の後、現状維持の為、埋め戻しを行い現在の状態に至る。
今後の史跡整備に向けた基本方針が2019/12に策定されたくらいだから、本格的に整備されるのは、当分先の様です。
(史跡の範囲が、柳田ICの合流付近から里山街道中心に国道249号に囲まれた、結構大きめな範囲、航空写真で見ると田畑や民家が点在している民営地の様なので、公有化にも時間がかかっていそう!)史跡の性格上、付近の気多大社との関係や、付近に点在している古墳群、史跡寺家遺跡と柳田シャコデ廃寺跡を中心とする、古代の神社関連遺跡と寺院遺跡等の関連まで調査されているようなので、益々、整備は先になるのかな?※シャコデ廃寺は、寺家遺跡と同時期に並行して存在した重要遺跡。
また、シャコデ廃寺が位置する台地のふもとには、気多神社祭神の大己貴命が邑知潟のオロチを退治したという伝承の舞台である「夫婦石」と呼ばれる巨石も存在します。
ザックリ、深堀してみても、この量なので、更に深堀したい方は羽咋市教育委員会)文化財課のHPで検索してみてね!意外と眉丈山の中腹に、夜な夜な円盤状の形をした物体u003d「そうはちぼん」が飛び回ったとの記録が残る土地柄で有り、丁度、眉丈山の方角が鬼門に当たる北東なので、得体の知れない鬼が入って来れない様に祭祀を行った場所なのかも… 気多大社もその為の能登一宮?… 随神門もあるし…なんてな!(勝手な想像でごめんm(_ _;)m)