佐々宗淳(水戸黄門の助さんのモデル。
正宗寺 しょうじゅうじ / / / .
常陸佐竹氏ゆかりの臨済宗:円覚寺派のお寺を拝観致しました〜書き置きの御朱印ですがご住職さんから頂きました。
佐竹氏の墓参りができた。
少し探しづらかったが、説明板があって助かった。
佐々宗淳(水戸黄門の助さんのモデル。
実際には光圀の側近で大日本史の編纂等に従事した儒学者)のお墓があることで知られています。
一般の墓地の片隅にあり場所は少々分かり難いかもしれません。
なお、県道29/33号線の増井バス停付近から源氏川を渡って行くルートは令和3年3月20日現在工事中で徒歩でも通行できません。
Googleマップで常陸太田駅から正宗寺までの経路を検索するとこのルートが表示されますが、仮に自動車の場合はこの工事が終わっても橋が古い木橋なのでいずれにしても通れません。
県道29/33号線を竜神大吊橋方面に向かい清掃センター北の信号を過ぎて源氏川の橋を渡ってすぐのところを右折して下さい。
(看板あり)
先日お墓参りに行ったら、昼間正体不明の動物が出没したと書いてありました😫危険ですので、一人でのお墓参りは当面控えたいと思いました。
水戸黄門を警護するのために働く気持ちだと思いやり。
時代劇アクションドラマを見たら楽しんで下さい。
助さんは小太刀、脇差(警棒ぐらいだと同じ)の達人でした。
現代人は自己護身術をできるだろうか。
助さんは元服(15歳から)=大人。
その若い時、忍術と剣術を鍛錬した事であったらしいだと思った。
助さんは、忍者じゃないより武士の仕事を働けました。
格さんはいいパートナー(相棒)をいて、分かる。
水戸市民より。
助さんのお墓があるお寺です。
水戸黄門で有名な助さん(佐々宗淳)のお墓があります。
1341年に、9代佐竹貞義の子 月山和尚が夢窓疎石を招き開山し、勝楽寺の境内に正宗庵を営んだのが始まりです。
室町時代には関東十寺の一つとして繁栄をきわめた。
歴史研修旅行、住職さんの優しい説明に皆が満足、素晴らしい研修であった。
正宗寺には水戸黄門でおなじみの助さんのモデルになった佐々宗淳(さっさむねきよ)さんのお墓が有ります。
文化財も多数有り曝涼の時期には拝観する事が出来ます。
萬秀山正法院と号する寺院で,延長元(923)年に平将門の父良将が創建。
創建当初は勝楽寺と号し,律宗の寺院だったが、暦応4(1341)年に9代貞義の子である月山周枢が師の夢窓疎石を招き寺院内に正宗庵を創建。
10代義篤が正宗庵を臨済禅刹に改めて正宗寺とした。
その後、勝楽寺と正法寺は後の争乱によって衰えたが、正宗寺は佐竹氏の菩提所となり,関東十刹の一つに挙げられるまでに繁栄した。
名前 |
正宗寺 しょうじゅうじ |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0294-73-0897 |
住所 |
|
評価 |
3.6 |
行ってみたい臨済宗円覚寺派のお寺。