周辺のマンション再開発で今は大部分は地下に埋もれて...
台場公園には台場跡は見られず、少し離れた場所に石垣が見られます。
こちらは住居の裏側のごく僅かな部分だけですが、反対側の星野町公園に回り込むと、かなりの長さの石垣を見学する事ができます。
コウモリ台場と呼ばれた神奈川台場は、周辺のマンション再開発で今は大部分は地下に埋もれてしまっているとのこと。
この台場の設計を手掛けた勝海舟は子供時代のトラウマから犬が大の苦手だったそうですね。
ちなみにこの近くに台場らしき石積みの遺構とその碑があります。
台場は1858年に竣工、1898年まで存在したようで、日米修好通商条約締結の時の礼砲などに使われましたが、実戦で砲台が使用されたことはありませんでした。
ただ砲台は、沖ではなく、横浜湊の方角に向けられていたそうで、万が一のためでしょうか、1860年開港後も睨みをきかせていたようです。
またここへ来ると分かるのですが、神奈川宿前の神奈川湊は、小型船が行き交うのに適した遠浅の船溜であり、黒船のような大型の蒸気船が碇泊出来るような港ではありません。
諸外国が結局対岸の深い海底の横浜村を貿易の拠点とせざるを得なかったのは明白ですね。
愛媛藩に命じ制作されたとのこと。
石垣が今でも残ってる。
台場公園には台場の史跡が無く、少し歩いた場所に石垣が見える場所がある。
石垣は線路・卸売市場の反対側のコットンハーバー内にある星野町公園でも見る事が出来る。
というか星野町公園のほうがちゃんと整備されてるので、そっちもオススメ。
勝海舟が手掛けた台場の史跡。
特に台場の外形が残っているという事ではなく、台場外郭の石垣が部分的に残っている程度。
東京お台場にある第〇台場の史跡を期待していくと肩透かしを食らうかもしれない。
元々はバットマンマークのような形状をした珍しい形状の台場だったようで、実際に当時はコウモリ台場と言われていたらしい。
これは五稜郭と同じような設計思想で、ヨーロッパの城郭をモデルにしたもののようである。
2020年11月現在、部分工事中ですが、海が見えてベンチもあって、お散歩の休憩に丁度良かったです。
ペリー来航以降、安政元年(1854)に和親条約、さらに安政五年(1858)には各国と修好条約を締結したことにより日本は横浜、函館、長崎、新潟、神戸を開港することとなりました。
そこで江戸湾内を航行する船舶の監視役として神奈川台場が築造されることとなりました。
担当となった伊予松山藩の松平勝成はさきに築造された品川台場の構造が不十分である風評を受けて、より一層堅固な台場の築造が必要であるとして並木町、及び漁師町沖に2基の台場を築造することを決定し、漁師町沖の台場に関しては勝海舟に一任したのでありました。
神奈川台場の構造は三つの稜堡を海上に鋭角状にもつ半星形状で、陸地とは2本の土橋によって結ばれる縄張りでありました。
またこの土橋は台場と陸地間を囲む舟溜りとしても活用することができる構造でありました。
明治32年2月廃止されるまで礼砲用として使われたましたが、大正十年頃から埋め立てられ、現在では石垣の一部を残すのみとなっています。
住宅地にある小さな公園。
遊具などはなくベンチと史跡の案内板があるくらい。
ひなたぼっことかには良いかな~☆
幕末に勝海舟によって作られた神奈川台場があった場合です。
当公園には案内板があるのみです。
なにやら 顧問弁護士先生そうとうな 歴史好きそれが高じて 今現在 東海道53次を時間をみつけては 徒歩で 歩いてる今は新居宿あたり らしい。
先日 横浜中央卸売市場あたり(出川哲朗さんの実家?海苔やさんがある所)行った時ぐうぜん 神奈川台場跡の高札 発見!見事に石垣しか残ってない でも此処に 台場なら江戸時代は、ここは海の真っ只中えー ほんとかいな?先生に 勝海舟設計の 御台場跡 知ってますか? 聞いたら 知らないらしい昨日 ドヤ顔で 案内しましたなかなか喜んで貰い 帰りに 土橋寿司奢りラッキー❗次の河岸は マリンロケット 行きます。
幕末期江戸湾防衛の一角。
現在は埋め立てが進んで内陸部となっているが、石垣の一部が残っている。
何もないのですが、看板には以下の様に書いてあります。
安政六年(1859)五月、幕府は伊豫松山藩に命じ、勝海舟の設計で海防砲台を構築した。
当時の台場は総面積二万六千余平方メートル(約八千坪)の海に突き出た扇型で、七万両の費用と工期約一年を要し、蔓延元年(1860)六月竣工した。
明治三十二年二月廃止されるまで礼砲用として使われたが、大正十年頃から埋め立てられ、現在では石垣の一部を残すのみになった。
神奈川台場公園の近くの住宅地の一角に台場石垣の一部が残っている。
説明板が無かったら解らないでしょう。
史跡としてもう少し保存の仕方やアピールの仕方を考えて欲しいです。
150年以上前の石垣が残ってる。
僅かな史跡で、当時の風景をしのぶのも楽しい。
勝海舟が戦いに備えて作った台場で、史跡公園として整備されています。
遺構は少ないですがしっかり残してくれたのは有難いです。
勝海舟の遺産。
名前 |
神奈川台場跡 |
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ジャンル |
|
電話番号 |
045-371-3284 |
住所 |
〒221-0045 神奈川県横浜市神奈川区西神奈川1丁目17−3 |
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.3 |
裏路地にひっそりたたずむ史跡があります案内図などありませんがマップで直ぐに解ります簡単な説明書きはあり概略は把握出来ましたなかなか…良いものですよ!