名前 |
串茶屋遊女の墓 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.5 |
小松市教育委員会ホームページ「小松市の文化財」より抜粋串茶屋遊女の墓種 別 小松市指定文化財 歴史資料指定年月日 平成 21 年 11 月 3 日所 在 地 串茶屋町串茶屋町の東にある共同墓地内には、江戸時代中期から明治時代初期に建立された数多くの遊女の墓が守り伝えられている。
串茶屋は、前田利常の小松城隠居以降、北国街道の宿場として発展し、そのなかで遊女たちは文化交流の仲立ちにも大きく貢献したとされている。
一般的に遊女の墓は一括供養されている場合が多いが、串茶屋では個々に手厚く葬られており、また大きさも様々で、造形的に優れたものや個性的な形の墓石が建てられているのが特徴である。
現在 34 基が確認されており、数度にわたる墓地整理・移設を経てもなお現在まで地元住民により大切に守り伝えられてきた。
近世串茶屋の歴史や文化のみならず、信仰や地域性をも物語る歴史資料として貴重である。