神名帳の大和國平群郡の項に「龍田比古龍田比女神社 ...
静かな住宅街にあります。
龍が祀られています。
社務所で御朱印書いてくれるおばちゃんはお話好きです。
とってもいい人です。
娘が保育園に通っている頃は、お迎えの後に境内で遊ばせていただきました。
今も、初詣や夏祭り・秋祭りに寄せてもらっています。
広くて清掃の行き届いた綺麗な境内が気持ちの良い神社。
法隆寺からは距離がありますが、最寄りバス停からとても近いので、バスのタイミングさえ合えば、ストレスなく見学できます。
ですが、そもそもバスの本数が少ないのでタイミングが合う可能性は高くないと思われます。
ハイキングがてら歩く気持ちで参拝なさるのが良いでしょう。
蘇鉄の巨木があると聞きつけて伺いましたが正直なところ、そんなに「巨」でもない印象でした…立派は立派ですが、御神木の壮大さもあり殊更に思ったより感が増しました。
期待しすぎたようです。
狛犬がとても可愛かったです。
書置きの御朱印頂きました、歴史を感じる御神木があります。
静かな神社です、参拝者二人でした。
旧官弊大社、「金剛流発祥の地」です 。
蘇鉄がとても素敵でした。
通りすがりに目にとまり立ち寄りました。
法隆寺に関わりのある神社のようだ。
神社本殿は全木造ではない近代的である。
境内には数百年は経っているだろう神木は幹の太さも枝振りも見事です。
神名帳の大和國平群郡の項に「龍田比古龍田比女神社 二座」と記載のある式内社。
法隆寺から直線距離で1,100m南西(裏鬼門)の位置に鎮座。
現在の御祭神は天御柱神・国御柱神の荒魂、配祀神として龍田比古大神と龍田比女大神を祀っている。
創建は、聖徳太子が法隆寺を建立する際、鬼門除けとして当社を創建、竜田大明神を遷し祀ったとある。
つまり、当社は聖徳太子が法隆寺建立の際に、三郷町立野の龍田大社より竜田大明神を勧請したものという。
龍田大社の御祭神は天御柱命と国御柱命となっているので(一説には風神である級長津彦命と級長戸邊命)、当社の主祭神が天御柱神と国御柱神の荒魂となっているのはそういう由緒に基づくものだろう。
このような由緒から、立野の龍田大社を龍田本宮、当社を龍田新宮とも呼んでいるようだ。
しかし、神名帳の社名からすると当初の御祭神二座は右社殿にお祀りされている龍田比古大神と龍田比女大神の二柱であろう。
そもそも、法隆寺建立の頃、神仏習合の思想はなかった。
神を仏法の守護としていく考えは、宇佐の八幡神が東大寺建立に協力するという話の後、実際は福岡県の香春岳から採掘される銅が大量に奈良の大仏建立のために供給されたことを示すのだが、いずれにしても、法隆寺建立の頃にはそのような思想はなかっただろう。
おそらく龍田比古大神、龍田比女大神の二柱は記紀にも現れない神で、当地の地主神。
当社の創祀は法隆寺建立よりももっと前だったに違いない。
神功皇后が三韓征伐に向かわれる際、鶏の声を聞いて出立する予定が、鶏が鳴くのが早すぎ、出立が早すぎた。
そのため峠を登っても夜が明けなかった。
そのため、その峠の名前は暗峠(くらがりとうげ)と呼ばれるようになった。
その鶏は役立たずということで、生駒川に捨てられ、かわいそうに思った下流の龍田川の龍田神社の神に拾われたという。
いい感じのすっきりとした境内です。
拝殿が、コンクリート作りなのが、奈良の雰囲気に合わないような感じでした。
御朱印あります。
聖徳太子にこの地に法隆寺を建てるように御告げをした、龍田大明神を祀る龍田神社⛩️法隆寺に行く時は行っておきたい神社です!
静かな神社です❗竜田川と唐揚げの話が聞けました。
法隆寺から西に1キロほどの所にある神社。
法隆寺の建立地を探していた聖徳太子が龍田明神の化身と出会い、法隆寺を建立し、この地に龍田大社から勧請し、鎮守社として龍田神社を創建した歴史のあるお寺。
境内には能楽の金剛流の発祥の地という碑があります。
法隆寺の帰り掛けに少し歩いて龍田神社を参拝してきました。
御朱印の対応が素敵で、親切な奥様がフレンドリーな雰囲気を醸し出しましたた。
境内にはソテツの巨樹があり、見応えもあります。
手水舎が、鶏タイプは初めてかも知れないです。
良い風が吹く神社でした。
能の一派発祥の地や、大きな楠、分祀されている神様含めて心地よかった。
御朱印は毎日いつも頂けないみたいですからご注意を。
梅原猛によると、竜田神社と近くにある広瀬神社は天武天皇により確立されたミソギとハライによってケガレを祓う儀式、つまり大祓の行事が国家の儀式として行われた最初の場所だとしている。
儀式を行ったのは天武天皇の寵臣であった中臣大嶋としている。
そのために竜田神社に天の神である天御柱神、国御柱神が祀られ、天の神に深く関わる雷と風の神が祀られている。
神は天から雷となって高い木、つまり柱に落ちてこの地にやってくる。
天と地を結ぶ天の柱を祀っている。
大和川の多くの川が出会う河合にある広瀬神社は五穀豊穣を祀る神であるワカウカノメを祀っている。
ここでお祓いをすることにより天皇に仕える人々のケガレが川に流れ、海に流されてそこに棲む神々に流されたケガレが消される、としている。
そして、この地の天の神と豊穣の神の形態が、後の持統天皇により祀られた伊勢神宮の神の祭りの形態に引き継がれたとしている。
なお、竜田神社の天の柱は男神であるが、伊勢神宮は女の神である天照の神に変更されている。
外宮に祀られている豊穣の神はワカウカノメで同じ。
ここに古事記の秘密があると梅原猛は指摘している。
10月13日日曜日は秋まつりに行ってきました。
餅撒きもありました。
3個ゲットしました。
龍田比古龍田比女神社タツタヒコタツタヒメジンジャt奈良県生駒郡斑鳩町龍田1-5-6祭神t天御柱命国御柱命志那都比古神(しなつひこのかみ)志那都比売神(しなつひめのかみ)のことで風神です龍田大社の祭神と同じ立野の龍田社を本宮と称するに対し当社を新宮とするらしい社叢があまりない神社。
おみくじを、引いたら次の行動することがピンポイントで書いてありました。
凄いです。
当たってるだけに怖いです。
本当は嬉しいですけどね❗
掃除が行き届いた境内でパワースポットがいっぱいで、神社のお参り初詣を兼ねてお願いしました。
今年、良いことがたくさんありますよう、祈ってきました。
とても厳かな神社です。
お参りにも来ましたが個人的には人が少ない夜がオススメです。
100円を入れる機械式のおみくじあり。
法隆寺駅よりレンタサイクルで来ました。
法隆寺の守護神として、聖徳太子が龍田大社より勧請したと言う神社です。
それほど大きくないですが、いい雰囲気の神社です。
御朱印いただきました。
鶏の手水がいいですね♪
鶏の手水所が大変愛らしいです。
平日に訪れたのですが御朱印を書ける方が出掛けておられました。
平日に御朱印を頂きたい方はしばらく待つことになるかもしれません。
【龍田神社】(たつたじんじゃ)は、奈良県生駒郡斑鳩町にある神社である。
式内社で、旧社格は県社。
崇神天皇の時代に創立され、法隆寺の鎮守とされていた。
伝承によれば、聖徳太子が法隆寺の建設地を探し求めていたときに、白髪の老人に化身した龍田大明神に逢い、「斑鳩の里こそが仏法興隆の地である。
私はその守護神となろう」と言われたので、その地に法隆寺を建立し、鎮守社として龍田大明神を祀る神社を創建したという。
元々の社名は「龍田比古龍田比女神社」で、その名の通り龍田比古神・龍田比女神の二神(龍田大明神)を祀っていた。
延喜式神名帳にもこの名前で記載され、小社に列している。
しかし、後に龍田大社より天御柱命・國御柱命の二神を勧請したため、元々の祭神は忘れられてしまった。
現在は天御柱命・國御柱命を主祭神とし、龍田比古神・龍田比女神を配祀している。
住所:奈良県生駒郡斑鳩町龍田1-5-6アクセス:JR大和路線・近鉄生駒線王寺駅より奈良交通バスで8分、「龍田神社前」下車、徒歩すぐ。
日本の歴史を語る上で重要な場所。
社紋のもみじは八葉なのが特徴。
手水のところに、鶏の像がありました。
社務所で話をしていると、ここの社紋は「もみじ」ですが、別れた葉が6つのは珍しいとのことです。
名前 |
龍田神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0745-75-3163 |
住所 |
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関連サイト |
https://tatutazinjya.business.site/?utm_source=gmb&utm_medium=referral |
評価 |
4.0 |
旧奈良街道沿いの古くからのお社です。
大楠と大蘇鉄を見たくてのお詣りでしたが、予想以上の立派さが嬉しく、更には帰りがけ、おそらくは奥様でしょうか、車の中からですが会釈をしましたらお返し頂け、感激しました。
ありがっ様。