訪れる人にも全く出会わず、ただただ静寂の中に有りま...
日本史における重要な場所です。
道路橋の看板が気になったので立ち寄ってみました。
明智光秀公の出生から始まり最後はこの場所とのことです(諸説あり)もしお時間あるなら、寄る価値はあると思います。
ブームが去った今でも訪れる人がいるようです。
この墓所は、明智光秀が生きていたという伝説に基づいています。
その真偽は判断できませんが、地元の方々は、それを信じて大切にされています。
伝説を残すだけ、明智光秀は偉大な人だったということは、よくわかりました。
本能寺の変後の山崎の合戦後で、明智光秀が生き延びたとされるスポットです。
教科書通りの歴史であればありえないのですが、歴史は勝者(豊臣秀吉)によって描かれた時代でもあるので、一つの正史の歴史かもしれないかもという目線で見ると、また面白さがあります。
山崎の合戦後、落ち延びてこの地に辿り着いた光秀は、荒深小五郎と名を変えて関ヶ原の戦いの折には、高齢となっていたのにも関わらず、かつて山崎の合戦の折に敵方だった豊臣勢(石田三成)に戦いを挑む為、東軍(徳川家康)の加勢をしようとしましたが、道中の根尾川で溺死した…とリアリティある文面で、本当の歴史は何なのか?と、色々と考えさせられます。
大河ドラマ、『麒麟がくる』で話題にもなった同地ですが、2022年11月では手入れも滞ってる様子で何処か廃虚感もあります。
自身は特にこういった場所に恐怖はありませんが、最近の歴女など女性1人では怖さを感じるかもしれませんので、女性の場合は複数人での訪問をお勧めします。
が、戦国時代や中世の歴史、また明智光秀に関心がある方は、立ち寄られて良いと思います。
もし文面が真実ならば光秀本人の余生と最期は、無念極まりなかったであろうと、墓石の前で手を合わせました。
平日の昼間に訪れましたが他に訪れる方はなく、閑散としてました。
夏場に訪れるならば、虫除けスプレーなどは必須かと思います。
明智光秀に興味や関心のある人は一度は立ち寄っても良いかもです。
大河ドラマ放映時は賑わっていたのでしょうが、訪れる人にも全く出会わず、ただただ静寂の中に有ります。
参道やお供え、周辺の清掃等は行き届いて居たので、神社の方や地元の方達が祀り、整備をされているんでしょう。
頭の下がる思いです。
本能寺の変は未だに真実が解明されない謎ですが、この地に一人佇んで居ると、光秀生存説が真実であるかの様な、当時にタイムスリップした様な感覚を感じます。
参道は苔むしているおり、苔好きの方にもオススメです(採取は当然禁止ですが)案内板は幹線道路から入る角にしかないので、ウッカリしてると見逃します!
色んな説があるけど明智光秀生存説 私は好きだな〜☺️生まれ育った土地って良いもんね!
諸説あるようですが、背の高い木の中にある墓にたどり着くと、不思議な感じになります。
何が本当かわからないから余計に興味がわくのかも知れない。
静かな空気が流れる場所です。
生きて荒深小五郎を名乗り、その子孫になるのでしょうか、荒深家で毎年2回の供養祭を代々引き継いでるのもすごいと思いました。
1年前の賑わいは何処へやら〜落ち着いた雰囲気の中で心静かに参ることが出来ます。
地元の方が大事にされて来た場所であることが感じられました。
織田信長の優秀な家臣でありながら本能寺の変を起こした張本人、明智光秀の墓。
通説では、羽柴秀吉との戦い(山崎の戦い)で敗れ、敗走中に落武者狩りに合い命を落としたとなっていますが、実は生き延び、荒深小五郎と名を変え、この地に潜んでいたと言われています。
真実はさておき、信仰は厚く、地元の荒深氏一族によって丁重に守られています。
墓は国道下のトンネルの先にありますが、トンネル手前に駐車場があるので車はそちらに。
日本史上、下剋上の代名詞、謀反人として永年扱われてきた明智光秀公。
近年ではその評価も変わり、大河ドラマにまで取り上げられました。
本能寺の変後、光秀公は当地に逃げ落ちたとされ、この地に祀られているとのことです。
大河ドラマのお陰もあり、桔梗塚周辺は、綺麗に整備されています。
大河ドラマで一躍脚光を浴びている明智光秀。
彼が山崎の戦いでは討ち死にせず、生まれ故郷のここ中洞に落ち延びて住んでいたという伝承もあるが (諸説ありすぎるほどある光秀伝)、ここ桔梗塚には「光秀の墓」と「五輪塔」があります。
初めてここを訪れた時がちょうどNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」で川口春奈さんがここを訪れた後の初めての週末だったので、近隣県からの来訪者がたくさん!でした。
地元の方も駐車場の誘導をしてくれたり、パンフレットをあれこれ渡してくれたり、、と地元総出な歓迎ぶりでした。
先日、2度目の訪問をした際は駐車場にはもう係の方とかいらっしゃらなくなっていました。
でも桔梗塚のところには必ずどなたかいらっしゃっていろいろ説明してくれますよ。
麒麟がくる。
でフューチャーされ、散策出来るように整備されてます。
案内人のおじちゃまがとても親切にお話ししてくれました。
以前NHKの番組で大河ドラマの女優さんが寄ったことは知っていましたが、まさか何回も通った道筋に、光秀ゆかりの地があるとは知りませんでした。
村起こし的に整備され、訪ねるのに問題ありません。
駐車場もちゃんと整備されています。
生存の謎は良くある話しですが、地元の方が代々守ってきたことに頭が下がります。
大河ドラマの影響で有名な山県市。
NHKの番組で明智光秀公墓をしり、見に行ってきました。
近くに行くと案内のお兄さんがいます。
駐車場まで丁寧に誘導してくれました。
駐車場は8台止めれる感じで無料でした。
そこより少し進んだトンネルの前にも止めれるみたいです。
そこには整備協力金の貯金箱がありました。
トンネルを入るとパンフレットやウエットティッシュがいただけました。
「桔梗塚」は、新しい小さな橋、桔梗橋を渡り神山をほんの少し登った場所にありました。
入り口からずっとまっすぐ行った所の山道(かなり急な道)を登ると光秀が崇敬していたとされる白山神社本殿が鎮座しています。
入り口に木の杖貸し出しありました。
心配な方お借りしましょう。
明智光秀の家紋。
水色の桔梗紋。
戦国時代、黒一色の家紋の中にあって水色の家紋はかなり目立ったらしい。
自転車で来ました。
川口春奈さんの絵馬が展示してました。
車で来るには少し道がわかりにくいかも知れませんね。
国道256号から行くと美山第一トンネル過ぎて、一つ目または二つ目の道を右に曲がります。
小さな道なので通りすぎないように。
山県市中洞は明智光秀の隠れ里と伝えられています。
何もない静かな山中にひっそりとお墓があります。
地元の皆さんが守り継いできました。
おはようございます。
お疲れ様です。
NHK大河ドラマ麒麟がくるの明智光秀公ゆかりの地の岐阜県山県市(やまがたし)中洞の中洞白山神社の桔梗塚(明智光秀公のお墓)に参拝に来ました。
NHK鶴瓶の家族に乾杯!で女優の川口春奈さんが桔梗塚(明智光秀公のお墓)に参拝されて絵馬に直筆の麒麟がくるのヒット祈願を書いて白山神社に参拝されました。
#鶴瓶の家族に乾杯!#麒麟がくる #笑福亭鶴瓶#川口春奈#帰蝶#濃姫#明智光秀公 #中洞白山神社 #桔梗塚 #絵馬 @ 中洞白山神社。
明智光秀の出生地は現在の岐阜県可児市とも言われ、先日行った可児市観光交流館でも少し触れられていました(出生地とされる地域は6ヵ所)この地でも生まれたとされています。
明智光秀の墓とされている場所もいくつかあります、戦いの後死亡説のあるお墓と影武者が死んで生存説のあるお墓。
こちらのお墓は生存説のある方です。
明智光秀u003d荒深小五郎この地(美濃国美山町中洞・現在の山県市)では光秀は荒木山城守の忠誠に深く感銘し、この事実を子孫に伝えようと荒木の「荒」と恩義を深く感じての「深」で自らを「荒深小五郎」と名乗り西洞寺の林間に庵を建てて住んでいたとされる。
この地域には荒深の姓が多い。
言い伝えられると真実味が増す400年以上を経て軍記物語や史料として信憑性の疑問があるものが多い明智光秀に関しては捏造も多く、出生地も本能寺の変の真相も定かではないですねどれを信じよう?お墓と言われているものはそんなに古いものではないと感じました再建?駐車場から徒歩10分駐車場は普通車で20台弱トイレは駐車場にも塚にもありません。
明智光秀のお墓に行ってきました。
よく手入れされ、地元では大切な場所として守り伝えられているようです。
この地の伝承では光秀の生誕地も此処で、7歳の時に父を失ってから可児市の明智城に養子に出されたとのこと。
山崎の合戦の後、関ヶ原の戦いに向かう途中で溺死する迄は故郷で過ごせた事になり、それが事実であれば戦国武将としては珍しく穏やかな晩年でした。
2020/2/23にクラブツーリズムのツアーで訪れました。
乗用車であれば、駐車場に停められます。
20台くらいは、停められそう。
桔梗塚に登る前に『光秀公ゆかりの うぶ湯の井戸跡』があります。
その奥は、白山神社となります。
神社には3種類の光秀公の絵馬があります。
桔梗塚は、井戸手前を左側に登っていきます。
し~んと静かです。
トイレは、国道側に戻ったバーベキューの管理棟のトイレを使用できます。
土岐氏の最後の城の大桑城の城下町とは反対側に降りられるみちがあり、美山地区にでます。
それから暫くの場所に岐阜県山県市中洞「なかほり」地区に明智光秀の墓があります。
産まれた場所として、光秀願う産湯に使った井戸や、母親が光秀の出世を願い建てた白山神社がある場所です。
中洞の豪族の子としてうまれますが、父親がなくなりますので、可児市にある明智城に軍学を学びに行き、明智の養子になったとつたわっています。
この場所では、天王山の戦いでなくなったのは、光秀の影武者で、本人は生き延び関ケ原の戦いでなくなったものをこの地に運んだといわれています。
光秀の出生地は岐阜県には数カ所ありますし、去年滋賀県多賀町佐目も伝承があり、候補地に手をあげました。
ひっそりした場所です。
256号線の東側から国道の下を潜って西側に移動します。
地元の伝説 明智光秀の墓。
名前 |
桔梗塚 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.9 |
明智光秀は山崎の合戦を生き延び、荒深小五郎としてこの辺りに住んでいたそう。
駐車場までの道は一部狭い場所があるので、注意が必要。