なんとなく好きで三度目のお参りをさせて頂きました。
美濃金山ふもとにあります。
織田信長に名前の由来は森可成に因んで「可成寺」と言うみたいです。
森可成、森三兄弟らの森家の墓所がお寺の奥の少し登った所にあります。
駐車場は山側にあるお寺と反対の道向かいにありました。
織田信長の重臣、森可成の菩提寺です。
浅井、朝倉連合軍との戦い、宇佐山城の戦いにおいて森可成が戦死、嫡男の森長可が栄厳を招いて可成寺を創建しました。
バイク二人旅。
森蘭丸の父、三左衛門可成の菩提寺ですかネ。
私自身が討死された滋賀出身なので、何とも言えない気持ちで訪れました。
お墓は、お寺の山側にある旧名鉄八百津線廃線跡を横切った先にあります。
38みねちゃん(ようつべ動画)。
織田家宿老のひとり森三左衛門可成の菩提寺です。
可成の次男、鬼武蔵こと長可(ながよし)創建とのことです。
お寺の上には町おこしで目にする蘭丸の墓碑もあり、森一族の菩提を弔われてました。
伺った日、お寺を抜け新しいコンクリートの擁壁が厳重なお墓のゲートでご住職にお会いし、気さくに開けてくださり参拝させていただきました。
森一族の墓碑群はゲートから2〜30m登ったところにあり、無数の古い墓標の脇を抜けた先の、白壁に囲まれた廟所のなかに在ります。
急斜面で上の山は何度も崖崩れがあったのか、堅固な砂防堰堤が設置されており、その堰のうえからは山の冷気が降りてきて廟所をより厳粛な雰囲気にしてくれます。
参拝を済ませてお寺に下りると、ご住職と奥様に迎えられ、この可成寺のことや街のこと、歴史的なことや近くの観光地まで案内いただきました。
奥様はお寺の中まで上がっていってと、怪しい風体のいちバイカーを快く迎えて頂けたのはとても嬉しかったです。
由緒ある寺院でも、現代に根付いた人とひととの結びつきを強く感じた参拝となりました。
裏の山に森蘭丸のお墓があります。
小さいですが、キレイなお寺です。
駐車場はお寺の石垣の道路を挟んだ向かい側にあります。
舗装されていて、広いです。
織田、豊臣氏に仕えた武将、森氏の菩提寺。
森蘭丸の他、父と兄弟の墓所がある。
決して豪壮なお寺ではありませんが、なんとなく好きで三度目のお参りをさせて頂きました。
今回は自動音声案内を聞かず、ゆっくり裏の墓地を散歩させて頂きました。
境内のウメの木が咲いていました。
森家ゆかりのお寺さん。
閑静で厳かな佇まいです。
大河ドラマ「麒麟がくる」が放送されると訪れる人が増えるかも知れませんが、駐車場が狭いので、お出かけの際は御注意下さい。
森可成ほか森一族の廟所のあるお寺です。
織田信長の小姓として有名な森蘭丸の墓もこちらにあります。
場所は本堂の裏手、裏山を少し登ったところにある木々に覆われた昔の墓地の隣に一族の廟所があります。
ところで八百津線はこのお寺の裏を走っていたそうですね。
このような狭い場所を走っていたとは本当に驚きです‼️参考までに可児市戦国山城ミュージアムで見た八百津線の路線図を上げておきます。
おまけに「みたけ・可児戦国武将めぐりきっぷ」を利用してもらったクリアファイルの写真も上げておきます。
森家の悠久の歴史を感じられました。
住職さんがいなかったかな。
森家墓所の特別な雰囲気。
歴史がしっかり刻まれており歴史ファンとして嬉しい。
森蘭丸を輩出した森家の墓所がお寺の奥の少し登った所にあります。
地元の方に聞いたところ、土砂崩れがあったので廃線になった線路の場所にコンクリの壁を作り、そのさいに墓地は、その上の方へ移されたらしいです。
森蘭丸のお墓よりも廃線跡に興奮したのはナイショです。
毎年6月に、欄丸の供養祭が有ります。
森一族の菩提寺です
森家の墓ですよ。
名前 |
可成寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
0574-59-2527 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
妙心寺派のお寺で戦国エリート一家森家の菩提寺になります本能寺の変で織田信長とともに討ち死にした蘭丸をはじめ、可成、長成、坊丸、力丸のお墓があります。