ボランティアの案内人もおり、気軽に訪れることができ...
明智光秀ゆかりの城。
地元のガイドさんが駐車場でいろいろ教えてくださったりありがたかった。
城跡ということもあり、いろんな塚や曲輪の跡など細かい説明があったりなど力が入ってる。
階段も整備されてる。
展望台が二つあるが本丸近くにあるのは絶景。
地元のガイドさんの話では大手門跡から本丸まで言って大手門跡に戻るのが往復約25分大手門跡から本丸へ行って山の下に降りて行って駐車場に戻るのが約往復45分とのこと。
山の下に降りる時は整備されてるとは言え足元に気をつけて行ったほうがベスト。
連郭式山城。
明智長山城(おさやまじょう)とも呼ばれる。
馬場のトイレ近くに車を停めて先ずは乾曲輪の見張り台までを往復し(途中、竪堀が見られます)、次に大手曲輪の展望台までを往復しましたが、散策路マップをよく見たら周回できるコースでした。
本丸跡には大河ドラマ「麒麟がくる」が放送されたことを記念し、光秀のブロンズ像が建てられていました。
西出丸曲輪には三等三角点(175m)がありました。
ここから明智光秀の一連の物語が始まったんだと、考えさせられます。
大手口に駐車場が有り(分りにくいですが、ナビで)1週20分で廻る事が出来ます。
よく整備されています。
明智光秀を生んだ地とされる山城。
稲葉城主斎藤義龍の攻撃を受けて籠城したが、落城。
その後、再興されることはなかった。
歴史を感じながら登る山城はとねも感慨深かった。
大河ドラマで有名となったであろう明智光秀が一族で暮らしていたというお城をようやく散策することができました。
駐車しようと思っていた公園の駐車場が定休日で敷地に入れなかったりと駐車場探しには苦労する場所でした。
桔梗坂を上がり、周辺の地形や構造を見ながらしばらく進むと本丸へと到着しました。
周辺を散策をしてみると休憩する場所やきれいな公衆トイレなどがあり、整備されていました。
展望台や策が再現されている場所もありました。
昨年の6月に明智城本丸跡に明智光秀公ブロンズ像が建立されたとの記事を読み、行って来ました。
石畳の登り坂を登った先にブロンズ像がありました。
麒麟が来るのブームが去ったので、人影はまばらでしたが、展望台の見晴らしは素晴らしかった!
明智光秀が暮らしたお城。
大河ドラマで登場した木の大手門が印象的。
実際に目にすると感動する。
大手口の横に駐車場があるので、頑張ってカーナビに案内される細い路地を攻めるべし。
この場所は明智光秀の生誕地である。
明智城の本丸跡や明智光秀像等が展示されている場所ですが、山城の地形を活かして遊歩道が整備され、ハイキングコースになっています。
大手口横の駐車場に車を止め、大手口から坂を登っていく。
小径は雑草など無く綺麗に手入れされているのが窺える。
坂の両側は木が鬱蒼と生えて森という感じであるが、明智光秀が住んでいた当時はどんな景色が広がっていたのかと思いを馳せる。
本丸跡に着くと何かパワーを感じる様な印象。
当時の建物を再現して欲しいなと思ったりする。
展望は良い。
十兵衛坂を下って行くと、深い森の様な感じ。
西大手曲輪横を通って、道に出て、駐車場に戻った。
ゆっくり散策して1時間ほど。
土産物店や食堂は無く、静かでした。
夏場はワイワイ虫とハチが凄い。
曲輪跡が残っており、大手門跡と城跡碑がある壮大な山城の姿を見ることが出来る。
本丸曲輪には、鉄砲を持った明智光秀の像が立っている。
展望台からは可児川、遠くに木曽川を望み、明智荘の展望が見える。
大手門跡から入って30分程でぐるり一周出来る。
名鉄明智駅からは徒歩20~30分程でアクセス可。
大河の影響もあってか以前よりかなり整備され展望台やベンチ、立派な光秀の像も建っている。
光秀の時代に一瞬タイムスリップできる?雰囲気のある場所。
銘文にQRコードがあり光秀をお友達追加できた(^-^)
明智城跡は城址公園駐車場(敷地全体の北側)から徒歩で15分ほどです。
ガイドの方も巡回してらっしゃいます。
頂上には光秀像のほか、北側に広がる明智荘を見下ろす展望台もあり、一見の価値ありです。
5月初に行きました。
明智家が築いたお城の説明や 敵から城を守るための 崖など、各所に説明が記されています。
大河ドラマが決まってから 築かれたであろう展望台や光秀像など いくつかあります。
お城は残っていませんが、跡地の山をぐるっと1周しながら、楽しめます。
歴史好きなら、オススメです。
坂道が多いので、スニーカーで行くのをお勧めします。
大河ドラマの影響かきれいに整備され、ボランティアの案内人もおり、気軽に訪れることができました。
小さな丘に登る30分ほどの散歩コースという感じです。
当時のものはなにもなく、最近建てられたばかりの光秀像くらいでしょうか。
小さな新しい展望台もあり、気持ちよく散歩できました。
大河ドラマ化したこともあり、しっかりと整備されています?実際は、ここまでしっかりとした縄張りだったのかどうかはよく分かりませんが、山城的には、ふむふむといった感じでした。
自分が行ったときには、あまり人はいませんでしたが、女性の方が多かった印象です。
それだけに虫も少なく、普通に行っても楽しめる城跡なのかなと思います。
明智光秀縁の城跡で、自然の地形を活かした山城。
石垣の城壁は無い。
展望台からの眺めは良く、向かいに見える山裾には旧中山道(現国道21号線)が通る。
現在、大手門口の駐車場が利用できないため、花フェスタ記念公園などに停めて歩く。
せっかく来たなら少しだけ遠回りしても産湯を見たほうがいいですよ!場所はわかりづらいですが、そこから山城を見上げると、光秀が落城するときに叔父上を残して眺めた山だ!って気になります。
残念なのは井戸がもう無いので、この辺り?って感じだけど😅
目的の城址に車で近づくと、警備員が道路を封鎖しており、花フェスタ記念公園駐車場に停めて歩いてくるよう言われました。
城址付近は民家が多く、また特に道が狭く車がたくさん乗り入れると身動きが取れなくなるため、城址の駐車場は閉鎖されているようです。
大手門なら歩いて15分くらいでした。
歩いて戻って来ると警備員から、明智城址のパンフレットをいただきました。
道案内もしてくれます。
途中、明智家の縁の神社お寺などがあり、お城そのものはありませんが、歴史を感じることは出来ます。
静かな住宅地丘陵の上にあるとのこと、地元の自治会の方々が違法駐車をさせないようにと、要所要所に臨時駐車場と花フェスタの駐車場への道案内に自治会長さん他が誘導に立たれていました(すみません、明智城のことじゃなくて!)本当は大手門側から歩くつもりだったんですが臨時駐車場から歩き始め看板(住宅地案内)を見ていったら本丸の下側から入ってしまいました(苦笑)住宅地から坂を登ると目の前に桔梗坂の終点が見え、石畳(?)が続くのが見えます。
それを右手に左手に進むと本丸跡に続きます。
石垣も基礎石も見当たりませんが、この辺りで一族が暮らし守っていたかと思うと、眼下の町並みも違ったものに思えます。
2020大河ドラマの舞台として、即席で整備されたかのような城跡。
基本的には団塊の世代時代の住宅団地に埋もれた丘のうえに配置されており、しっかりとした城址整備がなされれば見応えある史跡になると思います。
なんせ住宅団地のなかにある史跡なので駐車場は無く、何百mか離れた場所に停めて散策します。
バイクで行きましたが、バイクすら横付けできず史跡散策は断念しました。
明智光秀生誕地説のひとつ。
大河ドラマの影響賑わうスポットとして整備されている。
それでも山腹に築かれた城なので、足場は滑りやすい場所もあり、安全のため革靴やヒールでの散策は控えるべき。
展望台からは眼下に明智荘が広がり往時が偲ばれる。
今、旬な光秀さんの城です。
見晴台があります。
気をつけたいことがあります。
・城跡への登り口は複数あります。
有名な門は北側からです。
・登り口に駐車場はありません。
駐車不正を見張る人がいます。
広見線明智駅より徒歩で30分ほどの場所にあります。
大河ドラマの放送が始まったからか、駅には城跡までの地図が置かれているし、道の途中にもにも案内があるし、登山道もよく整備されています。
山頂の本丸には展望台も作られています。
そこからはかつての明智荘が一望できます。
城跡は竪堀や切り岸などかつての遺構が僅かながら残っています。
また七ツ塚や六親眷属幽魂塔などいくさに関する遺跡も残っています。
これらを見ると、やはりここが斉藤義龍に攻められて落城した明智氏の居城だったのかなと感じます。
駅に置かれていた地図には「産湯の井戸跡」と書かれた場所があったので、そこも行ってみました。
しかしあったのは説明板とかつてかつて井戸のあった場所から移された樫の木のみでした。
井戸は耕地整理の為に、跡形も無くなったそうです。
屋敷もこの辺りだったそうです。
こんな感じで明智光秀の明確な痕跡というものは余りありませんが、ウォーキングには良いかと思います。
本能寺の変であまりにも有名な明智光秀出生の城😁明智光秀は俺の大好きな武将❗城は一城別郭の縄張り、一ノ曲輪、ニノ曲輪、三ノ曲輪と呼ばれる3つの城で構成されており、公園として整備されているのは三ノ曲輪の本丸跡、ややこしい😅
片方は住宅街、もう片方は山寺といった奇妙な立地。
夏の盛りにはオススメしない。
ハイキングコースは、虫と雑草・倒木に覆われている。
人がたくさんくるような名所ではないですが、コアな感じの人はちょくちょくいらしているようです。
普通に住宅街のど真ん中にあって、看板も出ていないので見つかりにくいですが、景色も良く城跡だけでなくドライブなどで立ち寄るのもオススメです。
街灯などはほとんどなく、夜は地元の人は寄り付かない感じです。
山城跡。
明智光秀公生誕の(1つの候補)地。
他の場所でも明智の名が付く城跡があります、、、が、近くの天龍寺さんに日本一大きな光秀公のお位牌があるので、個人的にはここが生誕地と思いたいです。
光秀公が見た景色を今自分が見てるって考えるとワクワクしますよ♪歴史に興味ない方でも、ハイキングコースとしてもお薦めですよ😄
名前 |
明智城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0574-62-1111 |
住所 |
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営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
明智城跡散策路マップの説明文によると、明智光秀が生まれ、落城するまでの約30年間を過ごしとされ、明智城は、土岐頼兼が康永元年(1342)に築き、明智氏代々の居城となったとされています。
弘治2年(1556)、明智光秀の叔父にあたる光安が城主である時、稲葉山城主斎藤義龍の攻撃を受けて落城したと書かれています。
大手口から石段の山道(桔梗坂)を進み「大手門」をくぐり「切岸」や「帯曲輪」などを見学し15分程で本丸跡に到着します。
本丸跡には、「明智光秀の銅像」「明智城跡碑」「七ツ塚」などがあり、本丸跡の展望台からは明智荘が一望できます。
その後、十兵衞坂という勾配のある坂を下り「六親眷属幽魂塔」という、明智城将兵の供養のために建立された供養塔を見学し、明智城跡の裏門となる「搦手門」を通り下山しました。
明智城は標高約180mほどの東西に長い山の両端に堀切を作るなど自然の地形を巧みに加工していたようです。
大手道には敵の進入を防ぐための見張り場や、道に並行して帯曲輪・堅堀・切岸が見受けられました。
また敵の侵入を防ぎ、城を守るために登城口付近に多くの寺を設けていたようです。
大手口から時計回りに登り下り30分から40分位で散策できます。