遺構が残っており、切岸や虎口など!
別の城に行ってると、ふいにノボリが見えて寄り道しました。
規模はさほどではないですが山城を堪能できました。
山城初心者にはお勉強に良いかと思います。
「足軽目線で駆け上がれ!!」とありますが、攻める足軽の気持ちになるとイヤだったろうなぁと想像できる遺構がしっかりと残っています。
矢とか鉄砲とか飛んでくるなか、先頭で突撃とか、私なら脱走します。
本丸からの眺めはとても良し。
天気の良い日にはオススメできます。
平日夕方に訪問久々利氏が築いたとされる小規模な山城石垣では無く土塁等を用いて築かれている小規模ながら整備はされており当時の遺構を比較的分かりやすく感じる事が出来るだろう近くに寄ったなら訪れてみたい場所。
大河ドラマ明智光秀やってるときから気になってまして、ようやく訪問。
駐車場は資料館のところ。
その端から道路に出て渡りますが、横断歩道なく交通量多い為注意。
そこから急な坂道階段登る。
スニーカー等が良い。
各々の場所に表示あり、その場所が昔何だったかわかります。
春や秋の訪問が最適だと思われます(風強く寒かった)
久々利氏の城。
階段状に曲輪が展開し、主郭の奥で数本の堀切で尾根を断ち切っています。
なお池をはさんで反対側の尾根にも堀切が見られます。
戦国期のお城の形態をよく残している城跡です。
石垣等はなく、土を盛り上げて作ったことがよくわかりました。
枡形虎口や堀切、土橋など説明もあり、よくわかりました。
本丸からの眺めもまあまあ良く、城主が領地や街道を眺めていたことが想像できました。
「天空の見張り台」とあったのですが、そこからの眺めはあまりよくありませんでした。
道や表示、旗が整備されているのですが、そろそろ時間がたったのか、少し劣化していました。
それもまたよしですが。
車は入口周辺の可児郷土歴史資料館に停めましょう。
入口からも分かるように、階段や案内板とかなり整備された史跡です。
山城なので、虫や動物の対策をしてから向かってください。
本丸周辺で蜂に遭遇したので、堀切には行けませんでしたが、行かれる際には万全の体制で行ってみて下さい。
美濃国守護である土岐氏の末裔、久々利氏の居城です。
のちに森長可に攻められて落城しています。
山の斜面に沿って、曲輪が積み重なった構造の城です。
そのため本丸から見下ろすと、棚田のように曲輪が重なったように見えて見事です(1枚目)。
切岸は高く、堀切も深く規模の大きなものが残っています。
夏は大量の羽虫が体にまとうので注意です。
守護土岐氏の一族、久々利氏の城。
近隣の兼山城主、森長可により攻められ落城。
良く整備されており、中世山城の形態を知ることができる。
二重堀切など山城好きな人には見応えあると思います。
山道も整備されていて良かったです。
しっかりと整備されている立派な城跡でした。
パロマさん?の協力のもと、のぼりなども整えられていて、城郭も木が伐採されており、中世の山城をしっかりと見ることができます。
観光地され過ぎていないことも◎。
ただ、雪の後くらいに行ったので、関東ローム層張りに、メチャクチャ滑りました。
防御力が高まっていました。
郷土歴史館のついでに、ちょっとした登山ができて、おすすめです。
それほど大変な山道ではありませんでした 景色を見ながら ハイキングコースとしては最適です 遺構もたくさん見られ お城好きの方は是非行って下さい 良い山城です。
久々利城跡を訪問しました。
本丸から二の丸、三の丸、虎口見下ろすと戦国武将になった気分が味わえます。
※想像力が必要ですが...😅二重堀切など当時を偲ぶ遺構も残っているため、更なる整備を期待してます😆案内板記載内容👇👇👇守護土岐氏の一族である土岐久々利氏は南北朝時代から戦国時代にかけて周辺地域を支配しました。
「金山記全集大成」によれば、初代康貞から代々土岐三河守・悪五郎襲名したといいます。
土岐悪五郎は、天文17年(1548)に鳥峰城(のちの美濃金山城)主の斎藤妙音を討って中・東濃地域を支配します。
しかし、天正11年(1583年)に美濃加金山城主の森長可(森蘭丸の兄)に討たれ、久々利城は落城しました。
【駐車場・トイレ】駐車場は近くの資料館駐車場を利用できます。
トイレもそちらを利用できますが、土日は休館してるので、注意!駐車場は休館してても利用できます。
【注意事項】まむしとイノシシ、スズメバチには注意して下さい!🐝🐗🐍遊歩道は整備されており、山城の中では比較的歩きやすい道ですすが、サンダルやヒールは止めた方がいいです。
適度な運動になります。
城攻めする足軽の気分ですね。
標高約190m、比高約68mの山城登城口に縄張図付きの説明板があった郷土歴史館もあるケド正月休みに来てしまった(T^T)遺構は見やすく整備されてる♪(^^)/食い違いの桝形虎口に切岸ガッツリの段々曲輪、尾根をぶったぎる二重堀切に竪堀などなど戦国山城遺構がミゴト♪おっと西側の館跡に渡る尾根にも堀切♪館跡はチョイヤブってる(^o^;隅々まで見ながらぐる~~りと一周してくるとソコソコの運動になったよん(^ー^;A
手軽に行ける整備された山城です。
曲輪、虎口、堀切など山城の特徴が見え、土岐一族久々利氏の良き城です。
郷土資料館駐車場から直ぐ行けます。
遺構が残っており、切岸や虎口など!面白かったです!反対側の縄張図も詳しく欲しいところです!
小さい山城で、本丸まですぐに登って行けます。
本丸は解放感があり、虎口 曲輪 二重堀切が分かりやすく、見所がコンパクトにまとめられた堅城です。
小さなお子さん連れでも簡単に来れるコンパクトな山城です。
とてもきれいに整備されていて、城の構造を子供にも教えやすい。
切岸もいい感じ。
すごく良いお城跡でした!きれいに整えられてるし、駐車場が近くにあるので、行きやすいです!
土盛りの姿が正に城を現している。
少しだけ山を登ります。
入り口にはカウンターとパンプレットが置いてありました。
草木が生い茂っていてあまり整備されていないので冬がおすすめ。
山城は全般的に木葉の落ちた冬がおすすめ。
未:築城年代は定かではないが土岐康貞によって築かれたと云われる。
康貞は美濃国守護土岐氏の一族で土岐頼清の四男。
三河守悪五郎と称した。
その子行春の時より久々利氏を名乗ったという。
天文の頃には鳥峰城主斎藤正義に従っていたが、天文17年(1548年)斎藤正義を久々利城へ招き酒宴を催して暗殺した。
一説に斎藤道三の命によるものともいわれる。
永禄8年(1565年)東美濃に侵攻した織田信長は金山城主として森可成を置き、久々利氏はその配下となったが、天正11年(1583年)森長可は悪五郎を金山城へ招いて酒宴を催し、その帰路悪五郎を殺害し、久々利城を奪って久々利氏は滅亡した。
名前 |
久々利城跡 |
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ジャンル |
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電話番号 |
0574-62-1111 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
大河ドラマ以前に一度来たときには、説明板等無く寂しかったが、今回偶然通りかかって再訪問したら、旗立物や案内板などがあって、城跡観光名所に変わっていた。
テレビの影響ってすごい。
でも訪問する方もこの方がいいですけどね。