名前 |
三島神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.0 |
延喜式神明帳に記載されている由緒ある神社という事で訪問。
社地は細長く、途中に剣野集落開発センターが建っており、境内の清掃も行き届いてるとは言い難く、往年の姿は無い。
ガッカリ!なお、境内には「御前手水舎」「御前水」の碑が建っているが、謂れを描いたものもなく不明。
○三島社 剣野村(白川風土記)社地 三十九間 三十間社家 五十嵐出雲村の北三丁にあり、聖武天皇天平十二年の勧請、大山祇命・富士浅間同体、刈羽郡は近世の郡名にて、本の三島の郡名も此の社より出たると云う、昔は三百石の社領あり、今村内に太鼓面・油田・千児作等の字あるは皆古の社領の地にして宮殿等も夥しかりしとなり、中頃衰微せしに、慶長三年堀秀政より寄附地あり、元禄年中稲葉丹後守高田在城の時、三島は越智の先祖の神なれば宮殿造営、社領を附し、台聴に達し、神祇官領長上卜部兼雄卿の許容を得て稲葉氏の三祖を祀る、祭日は三月十一日・九月二十六日本社 二間に三間、萱葺、箱棟、神体、鉾幣殿 九尺に二間、熨子葺拝殿 五間に三間、萱葺、箱棟瑞離 三方に回り十五間三尺鳥居 高さ二間・幅二間霊社 六尺四方、是は稲葉丹後守当社を再興し、元文三年稲葉氏の三祖を祀り、本社の東に建つ瑞離 三方に回り十三間鳥居 高さ六尺・幅六尺。