二代立川和四郎富昌1844諏訪神社本殿彫刻 下教...
諏訪神社(白州町下教来石) / / / .
名前 |
諏訪神社(白州町下教来石) |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
〒408-0317 山梨県北杜市白州町下教来石22−23−3 |
関連サイト |
http://www.yamanashi-jinjacho.or.jp/intro/search/detail/6191 |
評価 |
4.0 |
二代立川和四郎富昌1844諏訪神社本殿彫刻下教来石(しもきょうらいし)諏訪神社(諏訪神社だけですと市内各地にありますので便宜的に所在地の名称を付けて呼びます。
)諏訪神社は白州町の旧甲州街道沿いにありましたが、国道20号線改修工事のため昭和41年に現在地に移転しました。
神社は拝殿と幣殿(へいでん)、その奥の覆屋(おおいや)の中に本殿が並びます。
本殿建築は諏訪立川流二代、立川和四郎富昌の作品として有名です。
和四郎富昌は初代和四郎富棟の息子で、彫刻については富棟よりも精巧で、中国の古典に題材を取った人物彫刻を得意としました。
富昌は千葉や京都などの遠方でも多くの神社建築に関わり、この富昌により諏訪立川流神社建築が確立したともいわれています。
本殿の構造は一間社流造(いっけんしゃながれづくり)で、屋根は柿葺(こけらぶき)、正面に唐破風付(からはふつき)の向拝(こうはい)を設けています。
彫刻の見事さは実際に見ていただくしかありません。
富昌が下教来石諏訪神社を天保三年に請負ってから同十五年の竣工に至る時期に工期が一部重なっている仕事は須玉町海岸寺観音堂(北杜市指定文化財)をはじめ11の建築を数えます。
当然工事は分業体制となり、富昌が彫刻制作、建築の総指揮をする中で、地元の大工の多くも関与したことと推察されます。
この神社建築の見事さは下教来石の甲州街道の宿場としての繁栄を如実に物語ります。