菅原道真公と織田信長公を御祭神とする珍しい神社です...
菅原道真と織田信長を祀ると珍しい神社で近くの香林寺にお参りした際に立ち寄りました。
桜が綺麗だそうですが、特に見どころはありませんでした。
桜🌸が綺麗な神社です✨
ここは不思議なとこです。
神社とお寺が一緒の敷地に!町内の方々が伝統を守っています。
お祭りは是非参加してね。
産土神様です。
昔は春と秋のお祭りにいつも行っていました。
いつ参拝しても境内は綺麗に整っていて気持ちよいです。
2019年1月30日フジテレビ系「何だコレ?ミステリー神社仏閣に眠る秘宝」でこの神社が出ていた。
信長の4女永姫が前田利長に嫁いだ縁で、この神社が所有している信長の槍(織田木瓜の家紋入り)、信長の肖像画が紹介されていた。
日本で一番早く、織田信長公を祀る神社。
なぜ、祀る必要があったかは不明。
信長は延暦寺の焼き討ち(1571年)のあと、一向宗(浄土真宗)にさかんに攻撃をかけてきた。
また、信長の手下の前田利家も一向宗千人ばかりを磔、釜茹でにした記録が残っている。
1576年5月24日にこのむごい所業が行われたと、越前武生小丸城跡から発見された瓦に書き置きがあった。
ただし、のちに妻まつに諭され、逆に保護するようになったとは言われている。
桜が美しい。
前田家ゆかりの神社。
前田家藩主 前田利長公の正室 玉泉院が建立した、菅原道真公と織田信長公を御祭神とする珍しい神社です。
また、玉泉院が創建した玉泉寺と敷地を同じくし、所謂、神仏混淆です。
鳥居横の掲示板には、神社の由来と御祭神として菅原道真公と織田信長公が認められ、上部に梅鉢紋と木瓜紋が表示されています。
木瓜紋は織田信長公の代表的な家紋ですし、梅鉢紋は菅公以降の菅原氏および前田家の家紋です。
神社庁のHPでは、石浦神社の宮司さんが兼務している兼務社のようです。
玉泉院は玉泉院丸庭園や西田家庭園「玉泉園」に名前が登場しますから、金沢観光で聞いたことがあるかも知れません。
織田信長公の四女ですから織田信長公が御祭神である意味も分かるかと思います。
訪れた時には桜が満開でした。
神社前にタクシーを待たせた家族連れが、桜を背景にシャッターを切っていました。
横を通った際に聞こえた言葉は中国語だと思います。
観光名所とは思っていませんでしたが、海外では有名? と考え、ついつい写真を撮りました。
新しく社務所と手水舎が完成した境内には、桜だけでなくあんずの木と金沢市保存樹に指定されている高さ18メートルの五葉松も楽しめます。
かつて玉泉寺天満宮があった。
(維新の神仏分離令迄は、お寺と神社が一緒にあった。
)神像を卯辰神社に合祀した。
六斗の大火で寺社が焼失した。
氏子は翌年社殿を建て、神像を帰座し、「泉野菅原神社」と称した。
前田家が織田信長公を密かにお祀りしていた神社。
御朱印は石浦神社で頂けます。
名前 |
泉野菅原神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
076-231-3314 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
泉野菅原神社Izumino Sugawarajinja Shrine通称、玉泉寺の天満宮と称されていた。
昔は 玉泉寺の場所にあり、玉泉寺は社の裏にあった。
加賀藩二代藩主・前田利長の夫人・玉泉院が 前田家長久のため、元和三年(一六一七)の秋、 金沢に天満天神堂を建立し、越中新川郡の浄禅 寺十二代住職・其阿南水を招き別当とした。
藩政時代は、月次の会として連歌を祈祷の 連歌を祈祷のために行っていた。
廃藩後一時、神像を卯辰神社に合祀し、社殿は 玉泉寺に与えられたが、明治四年(一八七一) 六斗林の大火に寺社ともに焼失した。
ところが 翌年、氏子は再び玉泉寺の境内の西側に社殿を 建て、神像を帰座し、泉野菅原神社と称した。
金沢市。