隣に、創成川が流れています。
この人って誰…❓エッ😨❗大友亀太郎さんを、知らないの❓新しい事は、解らないけど😃古い事なら、任せて❗と…言ってた友人が、知らない⤵️ 二宮尊徳( にのみやそんとく )正確には、たかのり自筆では、金治郎 一般的には、金次郎さんの、門下生の一人❗札幌市の中心部( 現在の創成川 )の、元となる大友堀❗長さ4㎞に渡る用水路を、4ヶ月で堀あげました😃 邸宅跡地❗東区に、札幌村郷土記念館が、あります😃コロナで閉館してたので~😥こちらは、又の機会に‼️
この地の発展に寄与した大友亀太郎氏の銅像です。
立派な銅像です。
賑やかな場所のそばを流れる川の近くにひっそりとある目立たない像です。
札幌の真ん中に流れる創世川という小さい川のそばにあります。
近くには創成川公園もあったり、テレビ塔や大通公園があったりと、賑やかな場所です。
観光客も地元の人も、ビジネスでもプライベートでも、人が集まる場所なのですが、この像があることはあまり知られてないかと思います。
休憩できるベンチも少しですがあったり、以前この場所にあった施設の説明などもあったりします。
観光スポットというよりは、少しリラックス出来る空間という感じがします。
喫煙者がいます。
①北海道の開拓に貢献した幕臣で、「大友堀」を開削し、その一部は創成川として残っている。
②像の隣には、かつて創成川に架けられていた、石造の創成橋の欄干の一部が保存されている。
③碑文より→札幌開拓の先駆者・大友亀太郎は、天保五年(1834年)に現在の神奈川県小田原市で生れた。
二宮尊徳の門に学び「人の一生は金銀財宝に富めるにあらず、積善の道に如かず」を信念とした。
安政五年(1858年)に渡道し、慶応二年(1866年)には箱館奉行に蝦夷地開墾の計画を提出するととともに石狩地方開拓の命を受け、札幌市東区(旧・元村)に土地を選んで開墾し、札幌の街づくりの発端となった。
明治二年(1869年)これを開拓使に引き継ぎ、翌三年、札幌を去った。
亀太郎が掘った大友堀は今日の創成川の基となって街の中心部を流れ続けている。
隣に、創成川が流れています。
亀太郎さんの背後の景色はこれから激変してゆく。
楽しみだ。
「開拓の祖」と称される相模国(現在の神奈川県)出身の幕臣。
二宮尊徳の門下生の一人としても知られ、札幌市の中心部に現在の創成川のもととなる「大友堀」を掘るなど、用水路や橋梁をはじめとする土地の開発に尽力した。
変わりゆく札幌の街を見続けています。
亀太郎さんの背後の景色はこれから激変してゆく。
楽しみだ。
名前 |
大友亀太郎像 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
東区の郷土史料館と併せて 廻りたい場所だ。
札幌市の発祥・発展の礎を築いてくれた大友氏の偉業が 分かる。
2022年2月の大雪が融け 姿を見せてくれた彫像。