聖徳太子が晩年を過ごしたという飽波葦垣宮伝承地。
成福寺跡(伝・葦垣宮) / / / .
聖徳太子が晩年を過ごしたという飽波葦垣宮伝承地。
元々法隆寺の末寺で明治期に廃寺となったと言われている。
『斑鳩古事便覧』では、「葦垣宮を神屋と呼び、そこにある寺院を成福寺と称し、本尊は聖徳太子十六歳像で、平安前期849年に造営された。
そして、太子と膳妃が薨去されたところ」と伝えています。
今は敷地がフェンスに囲われた状態で残っているだけで、「太子道」の石碑を確認することができます。
名前 |
成福寺跡(伝・葦垣宮) |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
石碑がありますが、中には入れません。
このあたりの遺跡は立ち入り禁止が多いです。