橋の中程にブロンズ像が数体有ります。
神楽と旭川市内を、結ぶ✨忠別川✨に、架かる橋てす。
旭川で、明治24年に1番最初に✨美瑛橋✨と⭐神楽橋⭐が、ともに出来ました。
現在は、✨忠別橋✨。
橋の中程には野外彫刻が、✨加藤昭男氏の ⭐月に飛ぶ✨流政之氏の ⭐かくれた恋✨山内壮夫氏の ⭐家族✨高橋清氏の ⭐人NO134基も‼️野外彫刻が、飾られて、旭川の✨彫刻の街✨を、象徴する新しい橋の姿ですね。
😃🎶写真👀📷✨撮影には、✨オススメ✨ですね。
橋の中程にブロンズ像が数体有ります。
忠別橋のたもと、駅寄りの河川敷にうず高く積まれた廃車の山。
(昭和35~6年頃まで、この河川敷に旧復員兵やその家族が住み着いた「サムライ部落」が有り、回収業で生計を建てていたそう。
廃車置き場はその名残だそうで。
)高架の壁にペンキで書かれた「国鉄分割、整理断固反対!」のスローガン。
橋を渡る途中から見える、旧日赤の黒い病棟、その最上部に不気味に目立つ赤い赤十字マーク。
子供心に病院という恐ろしい場所がより一層怖く見えた日赤病院。
夕方、薄暗くなるとそれが赤く光り、一層不気味さを増して、子供時分よく眼を反らして通っていた。
昭和53~54年頃の思い出。
旭川らしい彫刻が見られる場所です。
綺麗な橋と綺麗な川です。
忠別川が旭川の名前の由来になったとの記載があります。
諸説あるようですが…
名前 |
忠別橋 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
4.1 |
ここの景色すき。