二本松少年隊が、勇敢に戦った跡地です。
「藩は止むなく少年隊に出陣を命じた」とあるが、少年はそれぞれの部隊に編入されており、少年隊とは後の呼称との認識だったが。
調査の必要あり。
「三春藩の突然の降伏で二本松の横腹を突く形となった西軍は」と柔らかな記述だが、三春から嫁を貰うなと後世まで語り継ぐほど恨んでいた様です。
地理に詳しい三春藩の案内があっあから横腹を突かた。
落城した一因と考えられます。
戊辰戦争で落城したのは二本松藩だけです。
武士道を極めた素晴らしい藩だったであろうと思いを馳せます。
三春藩は東北の雄藩、仙台藩に強制的に東北越列藩同盟に加盟させられた経緯があり、西軍に恭順するのも致し方なかったのかも知れない。
いずれにせよ、好戦的な西郷隆盛に権力が無く、世良修蔵が奥羽鎮撫総督府の参謀でなかったら、こんな悲劇はなかったであろう。
二本松の歴史に触れる事が出来るが場所が分かりづらいし興味がある人しか触れる事が出来ない。
二本松城の戦いにおける激戦地です。
二本松少年兵が新政府軍を果敢に迎え撃ったものの、多勢に無勢でした。
JAの裏手から階段を登っていきます。
もう少し整備されるべきかと思います。
車なら、ミニストップやJAから行くと早い。
戊辰戦争の二本松少年隊(12歳の子どもたち)最大の激戦地。
お線香をお供えしました。
二本松少年隊が、勇敢に戦った跡地です。
二勇士の墓もあります。
高台にあり、春に行くと、桜も綺麗です。
石碑一つしかない❗
どうもー白虎隊は知ってたけど二本松少年隊を知らなかった無知なma-bo-っす(* ̄ ̄ ̄ ̄ー ̄)♪こちらは国道4号バイパスから、高速道二本松インターに向かう途中にあります。
JAの駐車場に停めて見に行きましたw大壇口古戦場で起きた二本松少年隊の交戦について慶応4(1868)年7月29日大壇口に出陣した二本松少年隊22名は数え年13歳から17歳までの少年たちだった…新政府軍の板垣退助隊と交戦した少年隊士たち新式銃を用い近代的に統制された新政府軍新政府軍の兵力に、少年隊は退却を余儀なくされます二本松城もその日のうちに落城します…二本松少年隊は63名中22名で、そのうち16名が戦死したそうです年端もいかない子供たちの二本松少年隊が眠る大壇口歴史に埋もれた二本松少年隊…やるせない気持ちです。
名前 |
大壇口古戦場 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
4.0 |
歴史を軽んじてはいけない。
今の自分があるのは先人達が血と涙を流した上にある。
人と人が憎み合い争い合うことは繰り返してはいけない。
何のために生まれ何のために生きるのか…我々は歴史のひとつひとつから学び自分の中に取り込み人生に生かし、お互いがより良い人生を生きること、より良い社会作りをすることを肝に命じ互いを尊重し合いながら生きていきたいと思う。
憎み合い、嫉妬の先には悲哀しかないんだ…ここはあまり大事にされていないようだ…霞ヶ城もあるからいいのかな…二本松は戊辰戦争の悲しみが詰まった土地。
是非訪れて頂きたい。