歩道より一段下がったところにあります。
この貯水槽は、明治4 (1871) 年から明治32(1899)年までここを本拠地とした居留地消防隊(Yokohama Fire Brigade) の防火貯水槽として建造されたものです。
この地に居留地時代から100年以上も良好に保存され、昭和47 (1972) 年まで使用されました。
構造物としての特徴は、内部のヴォールト (アーチ) 型の天井と十字の補強用の間仕切りにより4室に分かれていることで、役割を終えた現在でも地下水の流入により常時貯水されています。
またここは、居留地消防隊が本拠地として使用した後にも、日本初の消防車 (大正3(1914) 年)、救急車 (昭和8(1933)年)が 配置されるなど、日本における近代消防ゆかりの地ともいえます。
横浜市では、自治体消防体制発足時代の横浜市消防局本部がおかれ、平成6(1994)年まで日本大通消防出張所として100年以上の消防の歴史があるこの地の貯水槽を保存しています。
横浜は、先端の都市であった場所だな〜と感じるのは発祥の地が沢山有ることです。
横浜情報文化センターの裏、大桟橋通り沿いにあります。
この消防救急発祥之地は旧居留地消防隊 地下貯水槽遺構と一緒にあります。
中消防しょ解説の地としての記念碑を見ると「1919年(大正8年)統治に特設消防署として第二消防署(現在の中消防署)が開設され、同年9月1日より事務所を開始す」とありました。
また一緒に設置されている貯水槽は「居留地消防隊が本拠地として使用した後にも、日本初の消防車(大正3年)、救急車(昭和8年)が配置されるなど、日本における近代消防ゆかりの地とも言えます。
横浜市では、自治体消防体制発足時代の横浜市消防局本部が置かれ、平成6年まで日本大通消防出張所として100年以上の消防の歴史があるこの地の貯水槽を保存し、展示しています。
」との事です。
碑があるだけ。
すぐ近くに、旧居留地消防隊 地下貯水槽遺構がある。
明治初年から 旧外国人居留地の消防隊が置かれ, 防火貯水槽として建造されたものが ほぼそのまま遺構として残され, 2003年4月に「旧居留地消防隊地下貯水槽」として公開された。
またこの地は その後も 消防署が置かれて, 日本初の消防車や救急車が配置されるなど「日本の消防近代化ゆかりの地」とされており, 「消防救急発祥之地」の碑もそれを記念するものである。
なおこの「消防救急発祥之地」の碑は, しばらく 中消防署山下町出張所に設置されていたが, 「旧居留地消防隊地下貯水槽」の遺構が整備・公開されるのを機にここに戻された。
消防救急発祥の地の碑です。
「うん、そうか」という感じ。
たまに思うが、看板をずらしたら、みんなそこにこれがあったと思うのだろうか。
遺構は特にない。
隣の貯水槽の方が面白いと思う。
旧横浜中央電話局(現横浜都市発展記念館)の敷地。
大通りから一本入った場所。
日本大通り駅に来たついでに、以前ニュースパークに来た時に気になっていた「消防救急発祥の地」の碑を見ておこうと思ってよりました。
来て見ると外国人旧居留地消防隊地下貯水槽遺構の銘板に「消防救急発祥の地」の碑が埋め込まれている感じです。
貯水槽の遺構と言っても昭和47年まで、横浜市消防局で使用されていたそうで、現在も地下水が流れ込むコトで貯水されているそうです。
長く消防に使われて来た場所なので、消防車や救急車が、初めて配置されたのだと思いました。
駐車場の一角にあるのですが、その向こう側は横浜ユーラシア文化館、横浜都市発展記念館の入口が有って、そこにも横浜の都市にまつわる屋外展示があるので、合わせて見学するのも良いかもです。
「発祥の地」好きなんだね。
歩道より一段下がったところにあります。
日本大通り駅に来たついでに、以前ニュースパークに来た時に気になっていた「消防救急発祥の地」の碑を見ておこうと思ってよりました。
来て見ると外国人旧居留地消防隊地下貯水槽遺構の銘板に「消防救急発祥の地」の碑が埋め込まれている感じです。
貯水槽の遺構と言っても昭和47年まで、横浜市消防局で使用されていたそうで、現在も地下水が流れ込むコトで貯水されているそうです。
長く消防に使われて来た場所なので、消防車や救急車が、初めて配置されたのだと思いました。
駐車場の一角にあるのですが、その向こう側は横浜ユーラシア文化館、横浜都市発展記念館の入口が有って、そこにも横浜の都市にまつわる屋外展示があるので、合わせて見学するのも良いかもです。
名前 |
消防救急発祥之地 |
---|---|
ジャンル |
|
電話番号 |
045-224-8181 |
住所 |
|
営業時間 |
[月火水木金土日] 24時間営業 |
評価 |
3.3 |
外見を柵越しに確認できます。
夜間は見えないかもしれない。