大きな杉の木があって神社正面右と階段登ったとこの右手に湧き水があります水は生活用水にもなってる模様。
御祭神 伊弉諾尊 事解男命 速玉男命由緒 不詳ですが、口碑によれば創建は大同元年(806)の事といわれています。
嬬恋村指定史跡「熊野神社奥の院と梵字岩」熊野神社は、毛無道(上信両国を結ぶ道)にあります。
その参道階段の南入口にある、正面の安山岩の巨石が梵字岩で、梵字は上部に刻まれています。
梵字は阿弥陀三尊(阿弥陀如来・観世音菩薩・勢至菩薩)を表すものと言われ、他にも二文字が記されています。
熊野神社裏山を80m程登った所に、越後まで続くと言い伝えられる深い洞窟があります。
これが奥の院です。
その中の巨石にも梵字が刻まれていて大日如来を示しています。
以上の遺跡は鎌倉時代の文保三年(1319)の一月から四月までの間に天台宗の修験者によってつくられ、修験修行の跡であると考えられています。
(境内案内板より)「奥の院」昔から語り継がれた話しによると此の岩穴よりニワトリを放した処越後の国山高郷に出てトキをつくったと語り継がれています。
岩の壁には梵字が刻まれていますが、幾つかの字の中には第九十五代花園天皇北条時代の文保三年と刻まれた字が残っています。
また岩の中央には修験者の修業した台座が残っています。
(社殿奉納板)より万座川をさかのぼり、門貝を経由する「毛無道」は上州と信州方面をつなぐ道として重要でした。
門貝はその上州側の拠点的集落としての 機能を果たしていたものとみられます。
加えて、吾妻山(四阿山)や白根山など霊地を控えていました。
そこに、山伏の修業の拠点が設置され、やがて、熊野神社が分祀されたと考えられます。
神社の背後の岩窟遺構や入口の巨石に刻まれた梵字は、その隆盛を物語っています。
(サイト「み熊野ねっと」より)群馬県指定天然記念物「鳴尾の熊野神社大スギ」熊野神社境内にある「大スギ」は、口碑によれば弘法大師空海(774~865)がこの地を訪れた際、使用していた杖をさしたところ根が生え、逆さに育ったと言う伝説をもつ樹齢1100余年の巨木です。
大スギは平安時代に盛んだった熊野信仰による熊野神社の神域に位置し、大スギから80m程登った所にある岩窟や、大スギの下にある大岩は、修験者が信仰の霊場とした所です。
下の道路は江戸時代の毛無道で、中世に万座峠道と共に頻繁に上信両州間に物資の通ったルートです。
(「境内案内板」及びサイト「み熊野ねっと」より)
「奥の院の洞穴にニワトリを放ったら越後の国に出てトキになった」という言い伝えがあるそうです。
(拝殿の看板より)
名前 |
熊野神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.5 |
梵字岩が圧巻。