知らないと気が付かないような所です。
忠治地蔵(国定忠治刑死場跡) / / / .
上州は国定村の長岡忠次郎、後世に語り継がれる江戸時代後期の侠客の親分です。
大戸関所破りの罪でこの地で磔にされました。
後に処刑場所に地蔵が建てられました。
信州街道にある大戸関所を破り、処刑された國定忠治の処刑場跡。
関所を正面突破した訳ではなく、山中を迂回しての関所破りだったらしい。
2021年5月に訪問、駐車場有り3台位、トイレ無し。
江戸幕末に子分の仇をとるため、手下30人余りをひき連れ信州へ向かった際に大戸関所を破り、その罪で嘉永3(1850)年12月21日に磔刑された国定忠治の処刑場所に背丈2mの忠治地蔵尊が建てられました。
この地蔵尊が建てられたのは、処刑わずか10年後の文久元(1861)年で、天明2(1782)年から天明8(1788)年に発生した日本近世最大の飢饉とされる『天明の大飢饉』の際に米倉を開放するなど、大衆に愛されていたことを物語っています。
すぐ北側に駐車スペースあります。
大運寺から歩いて25分程、知らないと気が付かないような所です。
ひとけが無く静かな場所がより雰囲気を感じます。
お地蔵とお墓があるだけ。
関所破りに失敗した国定忠治が処刑された場所に建立された地蔵です。
名前 |
忠治地蔵(国定忠治刑死場跡) |
---|---|
ジャンル |
/ |
住所 |
|
評価 |
3.2 |
国定忠治処刑場址。
忠治地蔵と墓があるだけです。