旧中山道の南側に鎮座しています。
とても手入れのされていて気持ちの良い神社さま!また所々に工夫をこらした生け花が素敵です。
静かな住宅街に佇み、心が落ち着きます。
道路を挟んだ向こう側に倉賀野中学校があり、学生さんは神社の境内で遊んだりすることがあるのかな、と思いを巡らせました。
境内に駐車場があります。
参拝してきました。
御朱印は書き置きの御朱印になります。
素晴らしい彫刻の御社で、長野の鬼無里にも同じ彫刻家の作品が資料館に展示されています。
甲子の日には大黒天さまをお参りします。
倉賀野町にあって綺麗な神社です。
宮司さんが素晴らしい方で倉賀野の歴史を教えて戴きました。
中仙道と日光例幣史街道が交わる重要な宿場町であった倉賀野宿の鎮守としての倉賀野神社は現在でも広い敷地を有していて古い歴史が漂う神社です。
本殿は高崎市の文化財にも指定されていて、立派な木造装飾が見ものです。
また境内には神楽殿や参集殿もあり、それなりの格式がある神社であった事が伺えます。
更には北向道祖神や大黒天、冠稲荷大明神などの境内摂社も多いですし、神贄田と呼んでいるお供え用の小さな稲田も境内で育てています。
2021/7/6期間限定❁✿✾花手水めぐり✾✿❁︎
手を清める水を溜める所に時期の花ばなをうかべて参拝者を迎えている。
気持ちが和らぎます😄
本殿が修復工事中でしたが拝殿の彫刻が見事です。
工事は3年3月までのようです。
12月上旬は紅葉もギリギリ見頃でした。
良い感じの御朱印。
書き置きのみでした。
主祭神:大国魂大神(おおくにたまのおおかみ)。
創建:崇神(すじん)天皇四十八年(社伝)。
上野国神名帳に「正五位上 大国玉明神」とある古社。
旧社名は飯玉神社。
明治十年大国魂神社と改称し、同四十三年に近隣の数社を合併して倉賀野神社と改称した。
当社の通称は飯玉さま(いいだまさま)なのだとあります。
飯玉神社なら那波氏(上野国那波郡)との関係を考えますが、群馬郡にあたるここ倉賀野の飯玉神社からは那波氏の名前は出てきません。
そのことを中世から近世への当社の変遷で考察すると、建長5年(1253)倉賀野氏の始祖倉賀野三郎高俊が社殿を造営。
以後、倉賀野氏の氏神として社殿の建替、修復が繰り返された。
倉賀野氏は武蔵七党とよばれる武士団の一つ児玉党の余流で、烏川北崖上に要衝・倉賀野城を構えた。
至徳3年(1386)倉賀野三郎左衛門尉盛勝社殿建立、長禄2(1458)倉賀野三河守行政社殿建立、永禄2年(1559)金井淡路守社殿修復。
とあり那波氏(安土桃山時代に断絶)の名前は出てきませんが、当社の伝来の社宝である『飯玉縁起』が、江戸前期ごろから存在していたとされていて、それは『神道集』所載の「上野国那波八郎大明神事」とほとんど同じ内容であることから、那波八郎大明神(飯玉大明神)との関係を鑑みることが出来、そして当社は江戸時代には飯玉大明神・飯玉神社と呼ばれ、街道として栄えた中山道の倉賀野宿(高崎藩)と近隣七ヶ郷の総鎮守として崇敬を集めたそうです。
とあります。
当社の旧社格は不詳ですが、神職の駐在する社務所もあり(お札やお守りの授与所)、それなりの格の大きさを感じる神社です。
旧中山道、昔は宿場町だった倉賀野✨毎年、4月19日、10月19日にお祭りがあります🤗太々神楽の音楽がとても素敵です✨緑も多く本殿の裏の方まで散策してみてください🎶緑がたくさんで森林浴気分を味わえてオススメです🤗ひとりで新緑を眺めたり本殿の構造をじっくりと見るのも楽しみのひとつです👍ココで巫女さんをやればよかったな★と思いました❣
本殿の存在感に圧倒しました。
コロナ自粛中だったので、書き置きの御朱印を頂きました。
¥300
小ぢんまりしているがとても美しい境内。
拝殿・本殿は古の雰囲気を感じさせる趣き深いもの。
近所の人が羨ましい。
規模は小さな神社ですが、雰囲気いいです👍拝殿横に🅿有り。
2018/11/10拝受 とても気持ちの良い神社でした。
木製で統一された社殿が素晴らしかったです。
社殿の彫刻は必見です。
境内には秋の花がたくさん咲いていました。
花の写真を撮影していたら職員の方が名前を教えに来て下さいました。
こんなに丁寧にして下さった神社は初めてです。
感謝です。
御朱印を頂きました!
今から 2000年以上前に創建された古社です♡ 社務所で配布頂いた ー由緒略記ー『ご祭神は大國魂大神.........第十代崇神(すじん)天皇の御代 皇子の豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)は父帝から東国の平定を命ぜられ 出立のときに御愛石(大切にしていた亀形の自然石)を授けられた この石は倭大国魂神の御分霊といわれ 豊城入彦命は当地に至るや 都から捧持してきた亀石を御霊代(みたましろ)として祭祀をなされたという 今から二千年の昔の亀石は「ご神体のクニタマさま」として今も御本殿に奉安される』
御祭神 大国魂大神神社の由来当神社は、その倉賀野宿のほぼ中ほどで、旧中山道の南側に鎮座しています。
縁起によれば、創建は崇神天皇四十八年、皇子豊城入彦命が東国経営に当たり、境内に斎場を設けて松の木を植えて亀形の石を祀ったことから始まるといいます。
このような伝承から、当神社の創建は畿内有力者の東国進出と深い関係があったものと想像され、近くには大鶴巻古墳・浅間山古墳など、国の指定を受けるような大古墳が存在します。
日本書紀によれば豊城入彦命は、上野国の一大豪族上毛野君の祖として書かれており、畿内豪族が東国に進出する際に、祭祀の場所とした神聖な地であったとも想像されます。
境内社 冠稲荷社 北向道祖神社 天神社 甲子大黒天社末社風神社(級長津彦上・級長戸辺神)雨神社(天水分神・国水分神)海神社(大綿津見神)火神社(火迦具土神)金神社(金山彦神・金山姫神)山神社(大山祇神)木神社(久々能智神)土神社(埴安神)水神社(弥都波能売神)大歳御祖社(大年御祖神)むかしの倉賀野江戸時代における倉賀野は、中山道の宿場であったばかりでなく、利根川を使った江戸通い物資運搬船の遡航終点河岸でもあったため、大いに賑わいました。
利根川最上流の河岸であったことから、西上州をはじめ中山道・三国街道を通じて信越方面へ送る物資輸送の水陸運輸の結節点として、近くは安中藩や高崎藩の外港として、また遠くは松本藩、飯山藩など信州の大名や旗本など四十二家の回米河岸として、十軒の米宿を数えました。
その扱い数量は享保九年(1724)当時、松本藩の一万俵を筆頭に、合計五万八千俵に及びました。
このように倉賀野は回米河岸としての性格の強い宿場でしたが、同時に広大な後背陸地を抱えていたため、そこからの特産物の集荷地としても賑わいました。
常夜灯、玉垣と倉賀野宿中町下町境にある太鼓橋は享和二年(1802)宿内の旅籠屋、飯盛女たちが二百両も出し合って石橋にかけ替えたものです。
その飯盛女たちの信仰を集めたのが横町の三光寺稲荷(冠稲荷)ですが、社寺廃合令により明治四十二年(1909)倉賀野神社に合併されました。
社殿は前橋川曲の諏訪神社に売られて行き、常夜灯と玉垣は、倉賀野神社と養報寺に移されて残っています。
天保時代(1830~1842)倉賀野宿は旅籠屋が三十二軒もあり、高崎宿の十五軒を上回る賑わいを見せていました。
本社前の常夜灯は文久三年(1863)「三国屋つね」が寄進したもの、玉垣にも「金沢屋りつ、ひろ、ぎん」「升屋内はま、やす、ふじ」「新屋奈美」など数多く刻まれています。
また、元紺屋町の「糀屋藤次郎」、田町の「桐屋三右衛門」ほか高崎宿の名のある商家、職人も見られます。
倉賀野河岸と共に宿場の繁栄を支えてきた旅籠屋、飯盛女たちの深い信仰とやるせない哀歓を物語る貴重な石造文化財です。
北向道祖神男女の双体道祖神で、もともと近くの倉賀野古城跡の辺りに北向きに祀られていたと言われます。
石の台座には「上町惣子供 施主大島三右衛門 文化二年(1805)乙丑正月吉日」と刻まれています。
昭和十二年(1937)にこの場所に移転され、今日では倉賀野神社の境内社として祀られています。
仲睦まじい双体道祖神の姿から、縁結び・夫婦和合の神様ともいわれます。
また、安政三年(1857)の倉賀野宿の大火のときには延焼を食い止めた「火伏せの神」としても、今も語り継がれています。
(境内案内板より)
神社本殿にある彫り物が面白い。
けしてきらびやかな物ではないですが、🔍探してみる、面白さがあります。
知らない参拝者と、どこ?(゜Д゜≡゜Д゜)?あった~✴( ≧∀≦)ノみたいな会話が生まれます。
受付の方も親切に教えてくれます。
静かな環境で癒やされます。
交通安全のお祓いもして頂けます。
さすが高崎、ダルマ供養(お焚き上げ)もして頂けるようです。
(普通はお寺ですが)
この何年か初詣に行っています。
広すぎず、ちょうど良い広さです。
いくつかお参りが出来て、いつも全て手を合わせてきます。
健康に過ごせているのは、初詣のおかげかもしれません😊
倉賀野駅より徒歩で行きました。
綺麗で雰囲気のいい神社です。
御朱印あります。
小さな神社です。
御朱印の文字がうまい。
この為に、高崎にゆきました。
無社格ながら綺麗に整備清掃されており宮司様の対応も親切丁寧です。
境内にある神饌田が特に印象に残りました。
名前 |
倉賀野神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
027-346-2158 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.3 |
観光名所ではありません。
遠くからわざわざここを訪れる参拝客はあまりいないでしょう。
しかしながら境内はよく整備されていますし、権現造の社殿を飾る彫刻はなかなかのものです。
境内の案内板もこの規模の神社としては意外なほどに充実していて、鑑賞と理解の助けになります。
都道府県別魅力度ランキングなるインチキくさい調査では散々なあつかいの群馬ですが、中世の一時期をのぞけば結構栄えていたので、実は見どころ豊富です。
その中ではまあ、決して上位とは言えない神社ですが、高崎駅から一駅の倉賀野駅から歩いで一〇分ほどなので、ついでの立ち寄りには便利で、行って損はないと思います。