まさかヤギを飼っているとは驚きでした!
上泉城に生まれ、上泉城主で有り新陰流の開祖でもある上泉伊勢守信綱の墓所が有る。
信綱公は正親町天皇の御前で天覧演武を行い、従五位下から従四位下へ昇叙され、天皇ご愛用の御前机を拝領したとされ、その机がこのお寺に所蔵されている。
このお寺には、剣聖といわれた上泉伊勢守信綱のお墓があります。
信綱は上泉城主であった上泉武蔵守秀継を父とし、幼い頃から熱心に剣法を学びました。
始めに神道流、そして陰流を修行し、ついにみずから神陰流を創始しました。
父のあとを継いで上泉城主となってからも、三夜沢の赤城神社に、諸国から名のある剣士を招き、奉納試合を行いましたが、一度も負けたことがなかったといいます。
そのなかには塚原卜伝もおり、秀綱の弟子となって教えを受けました。
秀綱の剣名は世間の噂にのぼり、箕輪城主であった長野業正は剣の指南を乞い、客将として秀綱を城に迎えました。
当時、武田信玄は上州に手を伸ばしており、箕輪城にも攻め寄せました。
秀綱は先頭に立って奮戦しましたが、武田勢の猛攻の前に、ついに箕輪城は落ちました。
信玄は秀綱の剣名を知っており、陣営に迎えようとしましたが、彼は武将としてより、剣の道を究めることを志し、弟子の疋田文五郎を連れて、武者修行の旅に出ました。
彼の不敗の剣には、ますます磨きがかかり、大和の国では柳生但馬守宗厳と立ち会って勝ち、弟子としました。
宗厳は秀綱の教えを受けて新陰流を工夫し、のちに徳川将軍家指南役となりました。
秀綱は京へのぼり、兵学と剣術を教えたりしていましたが、ある日忽然と名声を捨て去って、再び旅に出て消息知れずとなりました。
名声や栄達よりも、剣を究めることに徹した生涯であったと言えるでしょう(*^^*)
名前 |
西林寺 |
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ジャンル |
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電話番号 |
027-269-4854 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.1 |
法事で初めて、西林寺に伺いました😀西林寺で、まさかヤギを飼っているとは驚きでした!