知る人ぞ知る群馬の神社です!
多胡郡の総鎮守。
多胡碑のレプリカ、境内社もあります。
御朱印は社務所で頂きました。
¥300
優しい宮司さんです。
辛科神社からしなじんじゃ群馬県高崎市吉井町神保435祭神速須佐之男命朝鮮半島の新羅系渡来人によって創祀された郡名「甘楽」郷名「韓科」等々全て渡来人がたくさん住んでいた事を示しています祭神の速須佐之男命と息子の五十猛命は朝鮮半島に行き樹木の種を持ち帰り日本中を植林したとの伝承があります朝鮮半島へ日本から行ったのではなく朝鮮半島から日本に来たと言うのが事実であろう物部氏、天皇家等も朝鮮半島から九州に来住した2020/10/20 参詣。
大宝年間(701〜)に新羅系渡来人により作られた神社⛩らしい。
辛科(からしな)は甘楽郡から分割された韓級(からしな)に由来する。
大変親切です。
神門には随神ではなく、独特な感じの狛犬がいました。
小さな神社です、多胡碑のレプリカがありました。
多胡碑は、栃木県那須国造碑・宮城県多賀城碑とともに日本三碑と呼ばれているそうです。
もうちょっとお掃除してあげたほうがいいと思います。
彫刻など修復されるといいなぁ。
辛科は、もともと韓級(からしな)と書いたそうです。
境内には、多胡の碑のレプリカが建っていますが、多胡郡が創設された時、その一部を割いて、この地が渡来人の人々に与えられました。
甘楽郡も韓(から)から来ていると言われ、この辺りには、朝鮮半島からやって来た人々が多く住んでいたようです。
吉井町も渡来人に与えた吉井連(よしいむらじ)という名が始まりになっています。
新しい技術を伝えようと、自分からやって来たのでしょうか。
それとも連れて来られたのでしょうか。
どちらにしても、この神社は異郷で暮らす人々の心の拠り所となっていたようです。
狛犬はロボット犬のようで、思わず話しかけてやりたくなります(^_^ゞ
御祭神 速須佐之男命 五十猛命相殿神金山比古命 品陀別命 中筒男命 大山津見命 伊邪那美命 建御名方命 大物主命 八坂刀売命 大日孁命 宇迦之御魂命 木花佐久夜毘売命 天児屋根命 市寸嶋比売命 菅原道真公 塩光清境内末社八王子社 石神社 若宮社 大山咋社 稲荷社 八幡社 南方社 金山社多胡郡総鎮守辛科神社祭神は速須佐之男命・五十猛命ほか十五柱の神を祀っています。
「辛科」は多胡郡建郡に際して、甘楽群から分割された韓級(辛科)郷の郷名を今に伝えています。
延文年間(1356~1361)に書かれた『神道集』には「多胡郡惣鎮守辛科明神、本地文殊菩薩」とあります。
鎮座している地は神保氏発祥の地です。
社宝に鎌倉時代初期に渡来人の子孫惟宗氏他が奉納した「文殊七尊鏡像」の懸仏があります。
現社殿のうち、本殿は寛文元年(1661)に再建され、当初は春日造でしたが、幕末に屋根が流造に改築されています。
拝殿は享保十五年(1730)、随神門は寛政九年(1797)に建立されました。
(境内案内板より)吉井町指定重要文化財「辛科神社(旧社格郷社)」当社は須佐之男命他十六柱を祭祀、大宝年間(701~704)の創立、和銅四年多胡郡新設に伴い郡の総鎮寺と成す。
春日造の本殿、流破風造の拝殿、及び権現造の随神門は明治二十五年(1892)古社寺保存法の指定を受けている。
特殊神事として筒粥神事(一月十五日)みそぎの神事(芽の輪祭七月三十一日)あり、頼朝公奉納の御神鏡(懸仏)出目上満作大黒面(能面外十六点の宝物を有す)。
境内地此の附近古墳群を有し、弥生式文化時代の出土品多し。
(境内案内板より)高崎市指定史跡「辛科神社」奈良時代この神保の地を辛科郷といいました。
大宝年間(701~703)に大陸から渡来した人々によって創建されたと伝えられている神社です。
上野国神名帳に従二位とあり、安居院の『神道集』の多胡郡二十五社中の筆頭に出てきます。
寛文元年(1661)に流れ造りの本殿と拝殿が修復されており、随神門は寛政九年(1797)の修復、神楽殿は慶応二年(1866)の建立で、春秋の祭日には京都で伝習された太太神楽が氏子により舞われました。
神主による神事でその年の豊作物の豊凶を占う筒粥(つつがい)神事は1月、茅の輪(ちのわ)神事のみそぎ流しは7月の夜に行われます。
社宝として鎌倉時代の懸仏(銅板製)や、室町時代の大黒面(出目上満作)などがあります。
(高崎市HPより)備考相殿神の塩光清(鹽光清)は羊太夫の家臣である塩野光清のことで、合祀した吉井町塩の鎧神社の御祭神です。
羊太夫は多胡碑の碑文に刻まれた当地の豪族です。
特殊神事として御供米神事が伝わります。
旧暦十二月初午日に多胡郡二十七ヶ村を神官が御幣を立て捧げ廻り、御供米を納めさせるというものです。
明治維新後は秋季例大祭に神馬を奉納するようになり、大東亜戦争後は金納に変化しています。
また、明治維新後廃絶しましたが、旧暦二月に御鎮神事が斎行されていました。
幕末の慶応二年(1866)、神楽殿が建立され、太々神楽の奉納が始まりました。
明治九年(1876)、当社の太々神楽が白倉神社と笹森稲荷神社に伝承されました。
当社では廃れましたが、白倉神社では今も受け継がれています。
平成七年(1995)、鳥居が再建されました。
随神門の中には、異国情緒あふれる狛犬が安置されています。
境内地は社家神保氏の館跡です。
単郭城で、西南・西北・北東・東南などに濠・土塁の一部が残存します。
(サイト「神社と古事記」より)
地元の守り神、宮司様のいらしゃる由緒正しい神社です。
歴史ある綺麗な神社です。
城跡みたいな土塁が有ります。
神保城跡らしいです。
名前 |
辛科神社 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
027-387-3623 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
3.8 |
知る人ぞ知る群馬の神社です!