名前 |
金比羅神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
松山城跡は下室田小学校北西の山上にあります。
金毘羅神社がある部分がかつての本郭で、東西約32メートル、南北約17メートルの楕円形をしています。
本郭とその東側にある第2の郭が城の主要部となり、その周囲に階段状に郭が形成されています。
天正10(1582)年、神流川の合戦に敗れ伊勢へ退去した滝川一益に替わり、後北条氏が西上州へ進出しました。
松山城は、この時吾妻方面攻略の拠点として後北条氏の家臣である上田朝直の子信善により築かれました。
城の名は、上田氏が武蔵国松山城主であったことにちなむと言われています。
(高崎市HPより)参道を登って行くと急に開けた広場があり二本並んだ大きめの杉が見事です。
途中に飯綱大権現・大聖不動明王・大山祇命と、ひときわ大きな御嶽山座大権現の石碑があります。
頂上に金比羅神社とその横に昔太々神楽を舞ったであろうと思われる舞台がありました。