駅近くの橋のたもとの川沿いにあります。
長谷川伸生誕の地 石碑 / / .
小説家の長谷川伸にまつわる石碑大変立派なそして目立つ場所に鎮座されております。
池波正太郎は弟子の一人だったそうな。
大岡川、長者橋の袂にある石碑。
小説家・劇作家である長谷川伸の石碑。
実際の生家は、黄金橋付近だったみたい。
『長谷川伸文学碑』が日本丸の近くにある。
駅近くの橋のたもとの川沿いにあります。
京浜急行日ノ出町駅から降りてすぐの長者橋のそばに石碑が立っています。
長谷川伸は大正時代から昭和にかけて活躍した小説家、劇作家で池波正太郎や西村京太郎などとも親交があったそうです。
黄金橋の下流、2つ目の長者橋の脇には大正から昭和期の小説家・劇作家である長谷川伸の石碑があります。
その説明板には長谷川伸は黄金橋のたもとで生まれたと記されていました。
震災時に架けられていた黄金橋は長谷川伸の伯父の貢献するところが大きいそうです。
黄金橋建設資金として、弁天通の茂木惣兵衛と太田村の志村源次郎が各々百両に対し、長谷川秀造は格段に多い百両と松板三百枚四十両を拠出したということが由来のようですね。
小説家・劇作家である長谷川伸は1884年、ここ日ノ出町で生まれたそうです。
少年期より貧困のため働きながら字を覚え、芝居の評を投稿した縁で新聞社に入社して記者となり、その後小説家として活躍したそうです。
30年前にはこの石碑、気づきませんでした。
何気なくある石碑ですね。
池波正太郎の師匠です。
京急日ノ出町駅から大岡川沿いへ。
碑があります。
小説・劇作家の長谷川伸は、明治17年(1884)に現在の日ノ出町駅近くで産声をあげました。
生まれも育ちも横浜で、彼は父の破産により小学校を中退せざるを得なくなりました。
また貧困で幼い頃から第2号ドック(現在の日本丸メモリアルパーク辺り)で小僧として働き、暇を見つけては小説を書いていたそう。
二十歳で新聞記者となり後に小説家へ。
数々の小説を世に出し、そのほとんどがベストセラーに、中には映画化されたものもあります。
昭和38年(1963)にこの世を去り、そしてその3年後の昭和41年(1966)に長谷川伸賞が設立されました。
石碑のみあります。
名前 |
長谷川伸生誕の地 石碑 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.3 |
京急線日ノ出町駅から徒歩1分、長者橋の北詰にある。
長谷川の著作はつまみ読み程度で一作通して読んだことはないが、全集に収録されている「私眼抄」はなかなか面白かった。
作品の構想段階の覚書、ネタ帳の類だが長谷川が何を書こうとしていたかが分かる。
野毛のにぎわい座では「長谷川伸没後60年祭」としていろいろなイベントをやるそうだ。
林家たい平の人情噺「長谷川伸 生い立ち」をちょっと聴いてみたい。
にぎわい座は桜木町駅から歩いてすぐ、日ノ出町駅からも数分で行ける。
長谷川家の墓は生誕地から徒歩10分ほどの赤門町東福寺にある。
江戸学の大家・三田村鳶魚によると、明治、大正期の歴史作家は考証以前の問題として滅多切りにされているが、長谷川は「なかなか器用」に書いているらしい。
それでも代表作「中山七里」で江戸の岡っ引きが代官支配の飛騨高山まで偵察に出かけるなど、設定としてはありえない話だということだ。