平成29年6月23日拝観 聖福寺の塔頭の一つである...
平成29年6月23日拝観聖福寺の塔頭の一つである。
寺伝によると、開山は空也上人903-972と伝えられる。
時代は下り、鎌倉初期、栄西禅師が宋から帰国するときについて来た宋人に阿弥陀経を伝えて寺地を与え、九品宗くぼんしゅうという宗旨と金松山西光寺を賜ったと伝えている。
しかし、その後の西光寺には空白が続き、再興は戦後になってからである。
西光寺は、聖福寺の塔頭の一つ幻住庵住職の韜光とうこう和尚が再興し、当初は住職を兼務したので、西光寺では韜光和尚を中興開山としている。
寺内には普門山一朝軒がある。
一朝軒とは、古くから博多にあった普化宗、虚無僧のお寺で、昔は矢倉門にあったが、今は当寺に移っている。
住職のお話では、普化宗一朝軒の開山は一翁祖貞いちおうそてい1646年没という京都から博多に来た虚無僧で、この人が矢倉門に地所を賜り、普門山一朝軒としたと伝えられる。
普化宗とは、中国の唐代618-907の普化禅師を祖師とし、法竹(尺八)を吹くことで禅の修業をする一派である。
京都の明暗寺みょうあんじを西国33か国の虚無僧の本寺とする。
江戸時代まで虚無僧は、日本中往来御免や、虚無僧が門口に立てば喜捨しなければならない、宿を請えば提供しなけらばならないなど、諸国往来や寝食について幕府保証の特権があった。
しかし、明治4年1871、普化宗は政府によって廃止された。
西光寺内の一朝軒の道場には、普化禅師と虚無僧の祖である楠正勝公の尊像が大切に祀られているという。
(『筑前の寺めぐり 』より)西光寺は、聖福寺境内の西門さいもんの脇に伽藍を構えている。
平成29年6月23日拝観聖福寺の塔頭の一つである。
寺伝によると、開山は空也上人903-972と伝えられる。
時代は下り、鎌倉初期、栄西禅師が宋から帰国するときについて来た宋人に阿弥陀経を伝えて寺地を与え、九品宗くぼんしゅうという宗旨と金松山西光寺を賜ったと伝えている。
しかし、その後の西光寺には空白が続き、再興は戦後になってからである。
西光寺は、聖福寺の塔頭の一つ幻住庵住職の韜光とうこう和尚が再興し、当初は住職を兼務したので、西光寺では韜光和尚を中興開山としている。
寺内には普門山一朝軒がある。
一朝軒とは、古くから博多にあった普化宗、虚無僧のお寺で、昔は矢倉門にあったが、今は当寺に移っている。
住職のお話では、普化宗一朝軒の開山は一翁祖貞いちおうそてい1646年没という京都から博多に来た虚無僧で、この人が矢倉門に地所を賜り、普門山一朝軒としたと伝えられる。
普化宗とは、中国の唐代618-907の普化禅師を祖師とし、法竹(尺八)を吹くことで禅の修業をする一派である。
京都の明暗寺みょうあんじを西国33か国の虚無僧の本寺とする。
江戸時代まで虚無僧は、日本中往来御免や、虚無僧が門口に立てば喜捨しなければならない、宿を請えば提供しなけらばならないなど、諸国往来や寝食について幕府保証の特権があった。
しかし、明治4年1871、普化宗は政府によって廃止された。
西光寺内の一朝軒の道場には、普化禅師と虚無僧の祖である楠正勝公の尊像が大切に祀られているという。
(『筑前の寺めぐり 』より)西光寺は、聖福寺境内の西門さいもんの脇に伽藍を構えている。
名前 |
西光寺 |
---|---|
ジャンル |
/ |
電話番号 |
092-291-4886 |
住所 |
|
関連サイト | |
評価 |
4.4 |
寺院の街巡り1日目に行きました❗風格ある落ち着きな寺でした🙏⤴️❗お寺は綺麗に整備してありました❗お寺を知ることがあの世に行く近道なり🙏‼️