日枝神社に車を駐車することができ、登山口の案内があ...
柄杓山城 (桐生城) 跡 / / .
日枝神社に車を駐車することができ、登山口の案内があります。
そこから約30分の登りで本丸跡に到ります。
本丸跡には石碑が立ち、周りは切岸状に削られており堅牢な城であったことがうかがえます。
天気がよければ桐生の街、金山城跡のある金山を眺める景勝地、足に自信があれば吾妻山、鳴神山と繋げて歩くことができます。
意外とハードなコースですが。
登山するには良いかも。
駐車場が山の中なので車で道も狭いし、行く事を考えてる方、気を付けて。
そして出来れば登山する様な格好で行った方が良いかもよ。
あと、やまびこ・・・やりました。
反響しました。
恥ずかしかったです(笑)
暖かいので散歩‼️昔を偲ばれますが誰も来ない‼️ツツジが咲く頃がいいみたいです😀
遊歩道がU字になっており、今回は日枝神社からアプローチ。
本丸までの距離は城山バス停の先を入り、行ける所まで車で行った方が近そう。
日枝神社からは途中に郭が残っているのが見られますが、こちらは切り岸は見られるものの、堀は少なく平時の場所かも知れません。
本丸南側に補給された石垣があり、その他崩れたのも見かけます。
本丸を下った所に横堀を挟んで付随する郭があり、本丸と二の丸の間には大きな堀切があります。
その他三の丸や二の丸の北側にも郭がありますが、削平は半端なように見えました。
中々本格的な山城です。
来週桜がきれいでしょう。
何度来ても楽しいですね。
観応元年(1350年)桐生国綱によって築かれた柄杓山城は、元亀元年(1570年)に至って危機を迎えます。
この年、城主の桐生大炊介助綱が死去。
彼には子が無かったため、佐野から養子を貰い、親綱と名乗りました。
父の助綱は外には名将、内には名君と言われていましたが、親綱は違っていたようです。
彼は佐野から連れてきた家臣ばかりを厚遇し、いままでの家老や重臣達を遠ざけて用いませんでした。
これを見かねて諫言した里見入道が討ち滅ぼされるなど、家中は分断され、内紛状態となりました。
金山城の由良国繁は、好機と見て調略を開始。
多くの家臣達が主君を見限って、これに応じました。
早速、国繁は軍勢を催して、桐生城に押し寄せます。
城方でも諸将を召集しましたが、すでに人心は離れ、かえって寝返る者が続出しました。
親綱は内通者のうち、三十人ばかりの首をはねましたが、瞬く間に城は落ち、自身は佐野へと落ちのびることとなりました。
その後、隠居した由良成繁が自分の居城としましたが、北条氏が秀吉に攻められて滅亡すると、成繁も牛久へ移されることになり、城は廃城となりました。
まことに「人は石垣、人は城」というところでしょうか(^_^ゞこの落城史話には、財宝伝説のおまけもあるそうです。
寄せ手は城主よりも、姫の行方を追い求めました。
それは姫が、城に代々伝わる家宝の金の瓶(へい)を持ち出していたからです。
姫は瓶を塩の瀬という場所に隠し、謎の歌を里人に残して姿を消しました。
それは「きらきらと朝日てっかり山のもと水はしんしん雀ちょんちょん」というものです。
この歌に隠し場所のヒントがあると言われ、塩の瀬は朝日沢と呼ばれるようになったそうです。
ずっと後になって、この朝日沢では金ならぬマンガンが発見され、鉱山となったとか…(*^^*)
桐生氏の居城跡。
桐生氏が攻め滅ぼされた後は由良氏の牛久転封まで由良氏領であった。
石積みの跡が残るが、これ以上の崩落防止のために杭で保護してある。
上州の山城らしく石積みを活用した堅固な山城だったのを感じることができる。
石碑が読みにくいので文字起こし。
↓桐生檜杓山城この城は南北朝の初め桐生国綱が三年の月日をかけて築いたものという碑のある所が本丸のあとで後ろに二の丸三の丸があり、東に桐生川南に渡良瀬川をめぐらし西南の丸山と東南の浅間山にとりでを構えその間に新川を掘って要害堀とし東西の山地には物見山その他の小さなとりでを備えて万全の構えを示し桐生実城と称された城主桐生氏は助綱の頃まで繁栄したが天正元年助綱の子親綱ときに築城以来約二百二十年で金山城主由良成繁に滅ぼされた由良氏は二代国繁のときに小田原の北条氏に味方して豊臣氏に敗れわずか十八年で常陸国牛久に移されこの城は廃城となった昭和四十七年三月。
桐生を一望できるよう築かれた要害です。
名前 |
柄杓山城 (桐生城) 跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.city.kiryu.lg.jp/kankou/bunkazai/1010700/shishitei/shiseki/1002021.html |
評価 |
3.9 |
麓の神社に車を止めて登りました。
目印があるので迷うようなことはないです。
麓から40分程度で登れますが、途中瓦礫や狭い道、滑りやすいところもあるのでそれなりの装備で行ったほうが無難です。
石垣が少し残っているのでそれなりに見応えがあり、本丸からの景色も素晴らしくお勧めです。
帰路そのまま戻る感じになりますが、反対側の登山道の本丸近くにも少し石垣があるのでお見逃しなく!