旧村社。
資料によると、神護景雲元年(767)に上野国国司従五位下・林連雑物が郷民の安穏を祈願して創建。
その後、元亨年間(1312~1324)に小此木盛光がこの地に封ぜられた時に社殿を修理し、天文二年(1533)に小此木長光が社殿を修理して神領を寄進。
明治十年には村社に列せられ、明治四十年に字稲荷木の無格社稲荷神社・境内末社菅原神社を合祀し、現在に至っているとのこと。
主祭神は保食命で配祀神に倉稲魂命と菅原道真公。
とあります。
飯福神社と言えば那波氏の領地(那波郡)に顕在する飯玉神社の系列ですが、ここの飯福神社は新田郡・由良氏に組する小此木氏からも崇拝された神社であることから、この辺り境中島が戦国時代に那波郡と新田郡の境界地域であったことが伺えます。
集落の中に忽然とあり境内もそれほど広くはありませんが、表参道には日露戦碑の塚もあり、境内狭しと境内社や合祀社があり、西北の隅には正一位稲荷大明神とある鳥居もありました。
御祭神 保食命配祀神 倉稲魂命 菅原道真公境内神社 城峯神社 大山祗命 日本武命 琴平神社 大物主命 雷電神社 大雷命 秋葉神社 火産霊命 八幡神社 誉田別命 水神神社 罔象女命 厳島神社 市杵島姫命 浅間神社 木花咲耶姫命由緒当社は、もと朝日の里と言われたこの地に、称徳天皇の御代の神護景雲元年(767)に上野国々司従五位下林連雑物が郷民の安穏を祈願して創建したことに始まります。
その後、元亨年間(1312~1324)に小此木彦次郎盛光がこの地に封ぜられた時に社殿を修理し、後奈良天皇の御代の天文二年(1533)に小此木左衛門尉長光が社殿を修理して神領を寄進。
明治十年には村社に列せられ、明治四十年に字稲荷木の無格社稲荷神社・境内末社菅原神社を合祀し、現在に至っています。
利根川と広瀬川が合流し、江戸時代には海運が盛んであったところで、島倉・中島・境・小此木の地区の総鎮守として栄えました。
(「伊勢崎佐波の神社誌」を一部引用)
名前 |
飯福神社 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
2.7 |
せっかくのお社が放置されていて気の毒。