大杉神社(神明社)と合わせて、書置の御朱印を頂きま...
近くから電話して、宮司宅にて、大杉神社(神明社)と合わせて、書置の御朱印を頂きました!とても親切に対応して頂き、有難う御座いました!
鳥居には、八幡宮と書いてあった。
参道がまっすぐに長いな。
昔、源頼義が島田大五郎に命じて、村人を困らせていた大蛇を退治した伝説が残る神社⛩
熊谷市日向〔長井神社〕に芭蕉句碑が建っている。
蝶鳥の知らぬ花あり秋の空 はせを 句は〔存疑句〕扱い。
碑は明治19年(1886)建立。
名前 |
長井神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
048-588-2858 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.7 |
日向長井神社(ひなたながいじんじゃ)主祭神 品陀別命 息長帯姫命合祀神 火産霊神 奥津比古命 奥津比売命 豊受毘売神 木花佐久夜比売命 天照皇大神 素盞嗚命 岩長毘売神由緒長井神社は、天喜五年(1057)創建の八幡さまを祀る古社です。
天喜五年(1057)源頼義が安倍貞任を討つため東北地方へ行く時に当地に滞在し、竜海という池に大蛇が棲んでいて村人を悩ますと聞いて、島田大五郎道竿という者に、弓矢と太刀を与えて大蛇退治を命じました。
道竿は利根川まで道竿堀を掘り、水を落として大蛇を退治しました。
このことを東北地方平定の吉事として、神社を祀りました。
福川に流れ込む道竿堀が、今でも残っています。
暦応元年(1338)足利尊氏が再興し、戦国時代には忍城主成田長泰が信仰した記録が残っています。
幡羅郡長井荘鎮座から明治九年(1876)に、八幡宮から長井神社へ改称しました。
一の鳥居の額には、旧称である八幡宮の文字が刻まれています。
社殿前には松尾芭蕉の句碑もあり、鎮守の森に真直ぐ伸びる100mの参道は荘厳です。
芭蕉句碑には「蝶鳥の知らぬ花あり秋の空」と刻まれています。
四月中旬の祈年祭、十月中旬の例大祭のほか、大晦日と節分の伝統行事であるお焚き上げ神事は圧巻です。
また長井神社は、日向の鎮守として御神徳を仰ぎつつ、家族や地域の平安をお守りしています。
特に、昔から、安産・血の道などの婦人病に霊妙なご利益ありと伝えられています。
(埼玉県神社庁編「埼玉の神社」及び「境内案内板」参照)妻沼付近の伝説「竜海」昔、秦村(現妻沼町)と長井村(現妻沼町)との間に竜海という大池があり、四丈余の大蛇が棲んでいました。
源頼義が奥州征伐の途次、葛和田の渡をわたろうとした時、土人の言上で、大蛇の棲むことを知り、土豪島田大五郎道竿に命じて大蛇退治を行なわせました。
道竿は弓の名人でしたので、よくこれを退治して命にこたえました。
この時首、胴、尾を三つに切断し、池の三方に埋め、その跡に八幡を祀り、池の中央に竜神の霊をまつって弁天社が建てられました。
八幡社は現に存し、地名にも竜海、矢通があります。
なお大蛇の鱗は日向の八幡社の宝物として秘蔵されているといいます。
(韮塚一三郎「埼玉県伝説集成・下巻」より)略伝にある、竜海から利根川まで道竿堀を掘って水を落としたその道竿堀は、現在の地図では、上須戸から弁財、善ケ島、八ツ口を通って妻沼にまで続いていますが利根川には繋がっていません。
それは、大正末期から昭和初期にかけて改修され、利根川ではなく福川に排水するようになったためです。