東首塚ある朱色門の反対側から数段降りると陣跡があり...
松平忠吉・井伊直政陣跡 / / .
中日新聞Web(2024/9/6)【<流れ流され関ヶ原>徳川四天王・井伊直政 家康の信頼厚く、開戦の火ぶた切る】
ポケふた巡りで来ました!道路挟んで向かいにコマタナ&ドドゲザンのポケふたありますよ😊
東首塚ある朱色門の反対側から数段降りると陣跡がありました。
観光案内所の看板にある福島正則コースの1箇所目になります。
開戦のきっかけを作った松平忠吉、井伊直政の陣跡です。
東軍の先鋒は福島正則でしたが井伊直政、松平忠吉が少数の兵を連れ抜け駆けをし正面にいた宇喜多秀家隊に鉄砲を撃ち込みそれが合図で開戦となりました。
本当は駅の中にあったのだとか!徳川軍の中で唯一の最前線この2年後に亡くなる井伊直政 赤備えの軍に思いを馳せる。
関ケ原主戦場のやや東に位置する陣跡です。
徳川忠吉は関が原が初陣でしたが歴戦の勇者である井伊直政の貢献の元、先陣を命じられていた福島正則を抜け駆けし一番鉄砲を放ちました。
陣は東軍全軍の中央よりやや後方に位置しており、かなりの抜け駆けと言えます。
看板なければわからないね。
案内板があるから助かる。
松平 忠吉(まつだいら ただよし)は、安土桃山時代から江戸時代にかけての武将・大名。
東条松平家第4代当主、尾張清洲藩主。
井伊 直政(いい なおまさ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名。
井伊氏第17代または24代当主。
上野国高崎藩の初代藩主。
後に近江国佐和山藩(彦根藩)の初代藩主。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いで舅の井伊直政の後見の下、初陣を飾って福島正則と先陣を争い、手傷を負うも島津豊久を討ち取るなどの功を挙げる。
関ヶ原の戦いの開戦を抜け駆けで仕掛けた松平の陣跡。
東首塚の隣に有る。
徳川家康の四男、松平忠吉と井伊直政の陣所☺直政は忠吉を伴い合戦の朝、物見と称し前線に進み出て、先陣を任された福島正則を出し抜きました😁直政は島津義弘を追撃していたところ鉄砲傷を受け、その傷が元で亡くなりました😁
徳川四天王のひとり井伊直政と松平忠吉の陣跡。
近くには首実検場があります。
東首塚の脇、236号線側にひっそりとあります。
名前 |
松平忠吉・井伊直政陣跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
https://www.sekigahara1600.com/spot/matsudaira-ii-jinato.html |
評価 |
3.8 |
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東首塚に隣接、後見役の井伊直政6千人兵力が家康本隊主力。
家康を守護するような陣位置です。