勝海舟と聞いて登る 断食跡を知る 神明社・東照宮・...
勝海舟と聞いて登る 断食跡を知る 神明社・東照宮・奥宮・慰霊塔等見所満載 是非!
勝海舟が米国に渡る前に断食して安全祈願した場所だそうです。
そんな事するくらいの航海だったんですね。
とにかく階段がすごい。
叶神社から登ると、ペリーが錨をおろした場所が眼下に見えます。
湾の向こうには鋸山。
社の蝶番がカエルっぽいのが印象的。
神社のおみくじは猫がいて、引くべきおみくじを指定してます(笑)この子の背中の模様は、犬がご飯を食べようとしてる様に見えるから、見てみて。
縁起がいいねぇ。
200段以上の石段を登ると、燈明堂から房総半島まできれいに見えます御城印は神社か、浦賀駅近くのcool clan uragaでくれぐれも足元にはお気をつけて。
浦賀に行ったら是非!!叶神社の裏から登れます。
後北条氏初代の伊勢新九郎盛時(宗瑞)と相模国の覇権を争った三浦道寸が築城した城で三浦氏滅亡後は後北条氏の支城となる。
落城した時期は幾つかの説がある。
東叶神社で御城印をいただける。
戦国の面影を残しつつ、開国の頃に思いを馳せられるいいところです。
階段がきついです。
駐車場は叶神社に少しですがあります。
ここからの眺めはいいですね。
東京湾の入口にあたり房総半島も間近に見えて敵の監視の城にはもってこいですね。
でもせっかくですからもっと周りを整備して欲しいです。
どうも横須賀市はこういう歴史的なところの整備があまり成されていませんね。
地方に行きますと歴史的なところは町お越しの為結構整備されています。
勝海舟が断食した場所らしい。
階段がキツい。
ただ、登り切った後、奥の方に行くと、景色綺麗。
Googlemapは裏の民家を案内していますが、実際は叶神社境内から行けます。
水道を覆う高台、砲台観測に最適。
頂上から東京湾側を見ると浦賀灯明堂と灯明堂海岸等見えて眺望が良い。
城主は三浦家一族の横須賀家。
平安時代以来の名門武家三浦家の最後大名の三浦道寸公の母は横須賀家出身で子の三浦義意公は油壺の新井城で日本史上最長の4年の籠城期間を戦い抜いた猛将として有名。
戦国時代~江戸時代に浦賀港は浦賀城址側が米問屋と廻船商家が立ち並び先に開かれた。
対岸の紺屋地区が北条家臣で北条氏康公の奏者も勤めた間宮宗甫公が配置されていた事から対岸の丘も城塞化されていたはず。
江戸時代に三浦安針公が浦賀にて外国船貿易関連で勤務していた。
西浦賀には平安末期に和田義盛公の居城だった横須賀市吉井の怒田城址を貫き鎌倉に至る鎌倉古道が通るので戦国時代にも重視されたのだろう。
間宮宗甫公は本領が横浜市神奈川区の斎藤分町で、間宮一族は水軍を率いて北条家臣として東京湾防衛を担った。
同時代の一族武将には山中城の戦いで豊臣軍に大損害を与えた間宮康俊公、康俊公の嫡孫で徳川幕府初代本牧代官、但馬代官、二代目佐渡金山奉行を勤めた間宮直元公、徳川幕府初代鷹匠頭の間宮信繁公等が有名。
紺屋地区側(西浦賀)に江戸時代に成ると浦賀奉行所が開かれ、昭和期に奉行所跡は住友造船の団地が建設されたが、水堀と石積はドブ川として現存する。
浦賀城の城域としては東林寺を含む規模だったはずで観音崎通りが北端の大空堀だろう。
東叶神社参道から登れる。
登城口に成る現代の参道は今は“えにし坂”とも呼ばれるが、古来“産霊坂”と呼ばれたので産土神(うぶすなかみu003d土着の開拓神)を祀る場所だった事が推察出来る。
城が先か、叶神社が先か歴史は解らない。
養和元年(1181)年に真言宗の文覚上人と源頼朝公が石清水八幡宮から八幡台菩薩を勧進し再整備した聖地なので、浦賀渡し船の歴史解説からも判るが本来はド田舎地方である三浦の浦賀は古来大和朝廷の天皇家にも重視されたらしい。
叶神社は港湾を備えた峻険な山の湧水の聖地の要害堅固な山地形を三浦氏が奥院辺りを城塞化し、鎌倉幕府成立直前に文覚上人が港と湧水の聖地として水神治水海上交通安全の神格を持つ源氏の守り神である八幡大菩薩を勧進したのだろう。
城跡としての遺構としては、東叶神社側の山辺りが標高高く峻険。
良く観察すると叶神社奥院(元は真言宗系修験寺院)の在る場所は曲輪の土塁跡の様に頂上削平地を半分取り巻いている。
参道開削の際に西側土塁は撤去されたのだろう。
他、奥院の裏側に曲輪が続き武者には真横の断崖に続く道を断ち切る堀切の名残りの埋没した微妙な凹みが見られた。
断崖にもいくつも帯曲輪が見える。
奥院裏手浦賀港側の断崖の降り口には往時の虎口跡とおぼしき土塁跡の切れ間から下まで続く綴折れ(つづらおれ)の武者走りが有った。
何にも遺構が無いと言ってる人は何を見てたのだろう?
曇ってなければかなり綺麗な風景が見れますね!
戦国時代や幕末時代の歴史があった場所。
想深い地です。
健康のために頑張って登りましょう。
房総半島が近くに見えます。
城跡というより、東叶神社の裏山です。
明瞭な遺構は少ないが、要地にある城だということがよくわかる。
眺望もよい。
海側は展望が利いていい写真が撮れます!山側にむかうと空堀跡があります。
名前 |
浦賀城跡 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.7 |
子供の頃からの、遊び場でした。
頂上に奥の院と慰霊碑があります。
そこからは、浦賀水道と房総半島が眺められます。
昔は、明神山としか呼んでいなかった。
階段途中に、勝海舟断食跡があります。
例祭時には、御神輿を頂上まで担いで登った事が、良い思い出になってます。
階段キツイですが、1度眺望や歴史を感じるのに、登ってみては如何でしょうか?