凛とした空気が感じられる静かな場所です。
松崎神社(坂東稲荷宮) / / / .
かつては坂東稲荷本宮と呼ばれ、成田山と並ぶ賑わいと称されるが現在は静かで静寂に包まれる広い境内の神社。
御祭神は倉稲魂命・邇邇芸命・大宮比売命創建は宝亀3年(772年)で、五穀および歌舞音曲の神々として、古くから人々の信仰を集めています。
延暦16年(797年)に征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征伐の途中に参拝、戦勝を祈願したという。
このとき、鏡1面及び征矢を献じ、木鼓1箇を奉納したと伝わります。
その後の戦乱により、鏡と征矢は失われましたが、木鼓は現在も社宝として保存されております。
弘仁年間(810年から823年の間)には真言宗の租、弘法大師空海が参拝、携えてきた公孫樹の杖を上下逆さまに地中に挿し「後世まで繁盛せよ」と念じて立ち去ったという伝説があり、社殿前には周囲約6メートルの古木「空海の逆さ公孫樹」が立っています。
本殿の裏手には、前方後円墳(北条塚古墳又は東松崎2号墳)があります。
久しぶりに参拝すると摂社末社も境内もきれいになり管理が行き届いていました。
駐車場は道からは見えないのですが中にあります。
桜の木があって咲いてるときれいです。
本殿も立派です。
「坂東稲荷宮」の旧社号が示す通り元は稲荷神社。
旧社格は郷社。
江戸時代初期1658年(万治元年)の本殿と、江戸時代中期1756年(宝暦6年)の拝殿が現存する。
拝殿は重厚な作りでそれほど彫刻も多くなくシンプルなのだが、本殿は三間社流造で旧郷社の名に恥じない豪壮なもので、江戸時代初期の築造としてはかなり大規模なものだと思う。
江戸時代に朱印地三十石と言われているので、古来から多くの崇敬を集めていたのだろう。
この地域では、近隣の飯高神社と共に参拝するべき価値ある神社。
御神木の杉と、さかさ銀杏は立派ですね。
今は、神社の前のお店も閉店してしまいましたが幼いころは、境内やお店に行きました!
多古町にある神社です。
古墳の近くにあるので小さいお社がいっぱいあります。
御神木も立派で印象的な神社です。
松崎神社なのに本殿は稲荷様なのでビックリしました。
桜も綺麗に咲いていたので良かったです。
駐車場と思われる場所への入り口が解りづらくて困りますが、立派な御神木が何本もあり、裏側の古墳もかなり大きく、閑散とはしているけど、その分落ち着いて見られるのでよいです。
凛とした空気が感じられる静かな場所です。
かつては坂東稲荷と呼ばれ、境内もなかなか大きい神社。
神域に相応しくない境内整備にまつわる金銭的なトラブルの経緯が石碑に詳細に刻まれている生臭い匂いがする神社です。
本殿の屋根や欄間のような箇所の装飾は一見の価値あり。
名前 |
松崎神社(坂東稲荷宮) |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト | |
評価 |
3.9 |
倉稲魂命・邇邇芸命・大宮比売命を御祭神とする神社で、宝亀3(772)年の創建とされ、明治2(1869)年に社号を『坂東稲荷宮』から『松崎神社』に改号し、明治6年(1873年)郷社に指定されました。
延暦16(797)年、征夷大将軍となった坂上田村麻呂は蝦夷征討の途中に当社に参拝し、戦勝を祈願して鏡一面及び征矢を献じ木鼓一箇を奉納したと云われています。
鏡一面と征矢はその後兵火によって失われましたが、木鼓は消失を免れ現在も社宝として保存され、『松崎神社木鼓』として多古町の有形文化財に指定されています。
また、弘仁年間(810~824年)には平安時代初期の僧である弘法大師・空海が諸国行脚の折、当社に参拝し、携えてきた公孫樹の杖を上下逆さに地に挿植し、「後世まで繁盛せよ」と念じて立ち去ったという伝説があり、社殿前には周囲約6メートルの古木『松崎神社逆さ公孫樹』として多古町の天然記念物に指定されています。
西側の狭い路地を入ると右側に広い駐車スペースがあります。