第74代・鳥羽天皇の第2皇女である統子内親王の花園...
西陵はでてましたが東陵は地図に出ませんね。
天皇家の御陵はだいたい同じ形に作られています。
住宅地の真ん中にひっそりとあります。
鳥羽天皇皇女の統子内親王の陵墓で、陵形は円丘です。
宮内庁書陵部の陵墓地形図集成によると面積は486.16㎡と記されています。
陵墓周囲には生垣が植えられており制札を正面から撮影することは困難です。
(18/02/03)統子内親王(むねこないしんのう)平安時代後期の皇族。
鳥羽天皇(第74代天皇)第2皇女院号は上西門院(じょうさいもんいん)
法金剛院の北、住宅街の中にあります。
(18/02/03)統子内親王(むねこないしんのう)平安時代後期の皇族。
鳥羽天皇(第74代天皇)第2皇女院号は上西門院(じょうさいもんいん)
名前 |
鳥羽天皇皇女 尊称皇后統子内親王 花園東陵 |
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ジャンル |
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住所 |
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評価 |
3.1 |
被葬者:鳥羽天皇第2皇女 統子内親王宮内庁により、第74代・鳥羽天皇の第2皇女である統子内親王の花園東陵に治定されています。
統子内親王の母は藤原璋子です。
統子内親王は斎院に卜定され、大治2年(1127)4月6日准三后に叙されました。
その後大治4年(1129年)4月19日、紫野院に入りますが、長承元年(1132年)6月29日に病を患い退下しました。
保元3年(1158年)2月3日、第77代・後白河天皇の准母として立后し、皇后(皇后宮)となりました。
拝:2020/10/31