各線「北浜駅」から上がって交差点のところのりそな銀...
江戸時代、幕府は金銀銅による決済に代えて、干なまこ、干あわび、乾燥ふかひれなどの俵詰めを、輸出して、これらを『俵物』といいました。
この会所は1744年に集荷の便のために設けられて以降、移転を繰り返しましたが、安永6年(1777)にはこの場所に落ち着いていたらしいです。
各線「北浜駅」から上がって交差点のところのりそな銀行の前にあります。
ここに来るまで慶應義塾跡碑に行きましたが、俵物会所跡地碑はりそな銀行の角地にありさすが銀行です、碑の辺りは植木を植え高い木も植え、碑らしく区分されて居るのが良いですが、もう少し高い木がほしいですねぇ!あと2本あれば史跡らしくなると思うのですが。
☺️☺️☺️
江戸時代の俵物取り引き所跡で、商人の街大阪だけの事はあります。
この当たりは北浜の株取引所がこの会所跡跡地の前にありますが、ここも明治からの古い会所建物の前だけ残し、現代らしく裏手は新しく建てます。
☺️☺️☺️
江戸時代、長崎からの輸出品は干なまこ・干あわび・乾燥ふかひれなどあり、俵詰めにしていたことからこれらを俵物と称していた。
海外貿易の決済で金銀銅の流出の激しいことから、一部を俵物で置き換えられた。
延享(えんきょう)元年(1744)には集荷の便のため会所が設けられたが、移転を繰り返しここに落ち着いたのは、安永6年(1777)のことであった。
その後、幕府が独占集荷体制をとったもののあまり機能しなかったが、会所は幕末まであった。
名前 |
大阪俵物会所跡 |
---|---|
ジャンル |
|
住所 |
|
評価 |
3.7 |
りそな銀行の前にあります、丁寧に説明があり、ここで何をしていたのか分かりやすいです。