今はレプリカが飾られてます。
今はレプリカが飾られてます。
実物は近くの石雲寺にあります。
当地の伝説によると、天智天皇の第一皇子・大友皇子は、壬申の乱で敗れたが、百済の若者を身代わりに自害したと偽り、僅かの従者を率いて近江国山崎を逃れ、この地に隠れ住み、淋しい生涯を閉じたとされている。
当初、墓所には遺言にしたがって皇子が生前に愛された松が植えられたのみであったという。
後に諸国行脚の僧、華厳法師が日向の地を訪れ、養老二年(718)皇子を開基として医王山雨降院石雲寺を建立した。
その後、鎌倉時代に里人が五層の石塔を皇子の墓として、その他の五輪塔を従者の墓として建立したと伝えられる。
名前 |
(伝)大友皇子の陵 |
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ジャンル |
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住所 |
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関連サイト |
http://www.city.isehara.kanagawa.jp/bunkazai/docs/2013060300063/ |
評価 |
4.0 |
けっこう山道を歩きます。