平城京の朝集殿を移築した建物だそうです。
入母屋造、本瓦葺きの講堂は平城宮の東朝集殿を移築したもの。
堂内には木造弥勒菩薩坐像や木造持国天像、増長天立像の重要文化財が安置されている。
平城宮東朝集殿を移築したらしい。
鑑真和上が唐招提寺を創建するにあたり、平城宮の東朝集殿を760年頃に賜り、移築、改造した建物で平屋、入母屋造。
鎌倉期に改造されたと伝わるが、天平、平城の面影をとどめる唯一の建物と言われ、国宝。
堂内には鎌倉期1287年の弥勒如来座像(国指定重要文化財)が鎮座し、左右に奈良期の持国天(国宝)、増長天(国宝)が侍る。
増長天は、鑑真和上とともに来日した唐人の作と言われ、持国天は増長天に比べてぎこちない動きであるが、細かく彫られた衣紋の精緻さ、緻密さから、日本人の手によるものと考えられている。
21/02/18、参拝。
人が少なく、のんびり、弥勒さんとご対面させてもらった。
金堂の奥にが講堂。
(写真右奥)平城宮から移築され、当時の面影を残す唯一無二の貴重な建造物とされています。
弥勒如来、持国天、増長天(いずれも重要文化財)、その他多数の仏像が安置されています。
〔国宝〕
国宝。
入母屋造、本瓦葺き。
正面9間、側面4間。
平城宮の東朝集殿を移築・改造したもので、天平宝字4年(760年)頃、平城宮の改修に伴って移築された。
東朝集殿は、壁や建具のほとんどない開放的な建物で、屋根は切妻造であったが、寺院用に改造するにあたって、屋根を入母屋造とし、建具を入れている。
鎌倉時代の建治元年(1275年)にも改造されているが、奈良時代宮廷建築の唯一の遺構として極めて貴重である。
堂内には本尊弥勒如来坐像(重文、鎌倉時代)と、持国天、増長天立像(国宝、奈良時代)を安置する。
1970年に新宝蔵が完成するまでは、堂内に多数の仏像を安置していた。
また、講堂は僧侶が習学するための空間であったことから講師、読師が座る論義台が置かれる。
国宝に指定されている講堂。
流石、世界遺産!歴史的重厚感が半端ないです!
開門と同時に入場したのでのんびりと見る事ができて良かった。
大和名所図会には「平城の朝集殿をうつして造営あり」とある。
今、平城宮跡には奈良時代の遺構は何一つないが、移築された朝集殿は唐招提寺講堂として今の世まで生き残った。
奇跡である。
唐招提寺を訪れ、その講堂を見、あらためて平城宮の凄さを感じた。
有名な寺院です、落ち着いた雰囲気です。
唐招提寺講堂は、平城宮の朝集殿を移築した建物。
鑑真大和上が「唐招提寺」を創建するにあたり、平城宮東朝集殿を朝廷より賜り移築したもの。
平城宮唯一の宮殿様式の遺構。
本尊弥勒如来坐像(重要文化財)は釈迦牟尼仏の後継で、将来必ず如来として出現し法を説くと言われる。
この像と金堂の三尊を合わせ顕教四仏となる古式に配されている。
平城宮の東朝集殿(ひがしちょうしゅうでん)を移築・改造したもので、開放的な空間となっています。
外観は平屋の入母屋造で、現在の姿は鎌倉時代の改造によるところが大きいといわれます。
天平時代、平城宮の面影をとどめる唯一の建築物としてきわめて貴重な存在です。
内部は、本尊弥勒如来坐像(重文、鎌倉時代)と、持国天、増長天立像(重文、奈良時代)の他、多くの仏像が安置されています。
平城京にあった東朝集殿(ちょうしゅうでん)を移築、改造した建物です。
御本尊は弥勒如来です。
金堂と並び現存する木造建築。
講堂になる前は平城宮宮殿の一部だったとか!
平城京の朝集殿を移築した建物だそうです。
移築の際に屋根を入母屋造りにし、壁や扉、連子窓をつけたそうです。
御本尊は弘安10年(1287)造立と考えられる目の吊り上がった弥勒如来坐像です。
平城宮朝堂院の朝集殿を唐招提寺に移築した、天平時代の宮殿建築唯一の遺構。
名前 |
唐招提寺講堂 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0742-33-7900 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.6 |
鑑真大和上が平城宮東朝集殿を賜り移築したとされ、現存する平城宮の遺構として唯一のものだそうです。
以前は中に入れましたが、先般訪れた際には外からの見学のみでした。