戦地で使用された戦車を祀ってあります。
日本の為に 戦った英霊が祀られてます絶対に忘れては いけない事ですとても綺麗に管理が行き届いて 大勢の方に参拝して欲しい神社です。
日本軍の戦車兵学校があったところ。
九州出身の父親が、あと数ヶ月でも戦争が続いたら彼もここに来ていたかも知れないと、感慨深げに言っていたのが懐かしい。
戦地で使用された戦車を祀ってあります。
年々朽ちていく姿に胸が詰まる思いです。
ずっと前から気になっていて、第二次世界大戦でサイパン島玉砕時に使われた九七式中戦車が置いてある若獅子神社に行ってきました。
駐車場に着くと、思ったよりもこじんまりとした境内に高く聳え立つ若獅子の塔に目が行きました。
塔の意味や思いは現地に行った時に自分の目で見て読んで、感じてください。
塔の前で手を合わせてから左へまわり、いよいよ九七式中戦車です。
錆びて朽ち車体はボロボロですが、それと分かるものをよく観察しながら何周か回って見て、車体に受けた弾痕や一部だが厚さの分かる装甲板等をみながらこの戦車の由来を見て考えていたら、私が親だからというのもあるかもしれませんが、まだ二十歳にもなっていないような子供たちがこんなので戦っていたかと思うと何だか虚しくて悲しくなり、とてもカメラを向ける事は出来ませんでした。
これは、自分の目で見て感じた事を心の中に留めておくべきものだろうと。
なので、写真は性能諸元の看板だけで許してくださいwあと、正面入り口には旧校門がみられますので、そちらへも足を運ぶと良いと思います。
今回の訪問は良い社会科勉強(歴史)になりました。
バイク二人旅。
もうね…、感動しすぎて何も言う事なしです。
只々、祖国のために大義に殉じた英霊に感謝します。
38みねちゃん。
タミヤの97式チハを作ったことがあり、朽ちたままの車両を見ただけで涙が止まらなかったもの・・シャーマン戦車からの機銃痕が生々しい。
英霊の皆様安らかにお眠り下さい!
【日本陸軍九七式中戦車 チハ】サイパン島で戦車兵として九七式中戦車戦い奇跡的に生き延びた下田四郎氏が、戦後サイパンに訪れた際に廃棄寸前の偶然にも見つけ、個人的にサイパン政府と交渉し、私費を投げ打って2台のチハを日本に帰還させました。
二台のうちもう一台は靖国神社遊就館に展示されています。
朝に参拝しました。
土日はどうかわかりませんが社務所が隣にありますが平日の朝だったので閉まっていました。
最近賽銭泥棒にあったようで、賽銭箱はありませんでした。
どんな理由がるにせよ、泥棒は立派な犯罪ですので止めて頂きたい❗️しかも、日本のために戦われた先人達の目の前で‼️犯人が日本人でないことを祈るばかりです。
本殿の隣には戦地から帰還した97式戦車が展示されています。
だいぶ朽ち果ててはいますが弾痕の生々しさから当時の激戦を感じとることが出来ますので是非ともご覧いただきたいですね✨
現存する大戦時の戦車が見れる貴重な神社です。
陸軍少年戦車兵学校の記録最近Youtubeで発見した「富士に誓ふ 少年戦車兵訓練の記録」という動画だが、この跡地には現在は若獅子神社というのが建立され、陸軍少年戦車兵学校跡と共に残されており、拙人も探訪し往時の様子似思いを馳せた思いがある。
(下記ブログリンク参照)その陸軍少年戦車兵学校の現実の訓練風景などを記録したのが、今回発見した動画であり興味深く眺めた。
しかし、先の大戦でも、それから70年を経た現在でも、自国防衛に自国で戦車を作れる国というのは、おそらく10に満たないのだろう。
自国で作れない国は、他国から型遅れを輸入したり、多くの主要パーツを調達して組み立てている国がほとんどだろう。
その様な意味では、先の大戦では、戦車はティーゲル戦車など高性能戦車を多く生み出したドイツの工業力には我が国は及ばなかったものの、それでも自前で戦車を作る国であったと云うことだ。
しかも、主砲とか防弾装甲は貧弱なるものの、我が国の戦車は当時既にディーゼルエンジンを装備していたというところは先進性があったと感じるところだ。
あのドイツのティーゲル重戦車などでさえ、排気量3万ccとかの大排気量ガソリンであり、レシプロ航空機エンジン同様に単室排気量がガソリンエンジン(オットーサイクル)の限界に近く、ハイオクタンガソリンの使用を要求したであろうし、ガソリンエンジンならではは急速燃焼を生かした高回転エンジンは望み得るハズもなく、ただ熱効率の悪化による燃費性能の悪化、すなわち現在のEVと同様に航続距離の短さがウィークポイントとなっていただろうと思う。
しかし、陸軍少年戦車兵学校の現役のころは、内地を防衛すると云うより、外地の侵攻というのが主任務だったのだが、現在は祖国防衛が主任務だが、今やドイツのレオパルド2が設計から30年近くを経て旧式化しているのに対し、10式戦車など適時バーションアップを繰り返しつつ、世界最高性能を生み出しているのは我が国の戦車技術だろうと思う。
この点では、航空戦闘機が何かと米国の覇権を脅かすとして開発を邪魔されたりして進化を妨げられている現状からは、内地での防衛に特化した我が国の戦車技術は世界最高に至っているのだと思える。
この場所はもともと戦車学校であり、南方で大破したチハが持ち帰られ祀られているのに納得した。
この地で学んだ戦車兵の多くが故郷に帰ることなく散ったことを静かに伝える神社であり訪れることをおすすめします。
ふじしげさんで教えてもらってお参りしてきました。
日本に現存する戦車は2台。
一つは靖国神社に、もう一つがここにあるそうです。
戦車はペリリュー島で見たものよりやや大きな感じがしました。
英霊を祀ってある場所を思いがけず知ることができてよかったです。
以前、富士山麓は戦国時代より陸軍の演習場であったと聞いたことがありました。
日本陸軍 少年戦車兵学校跡地に創建された、兵学校出身者の英霊を祀る神社です。
太平洋戦争時の主力戦車である、九七式中戦車チハが保存されています。
終戦までに多少の性能改善がはかられましたが、連合国の戦車との性能差は大きく、縮まることはなかったと思います。
このような戦車が日本の主力であった事実も、先の大戦の悲惨さを物語る出来事になると思います。
白糸の滝から車で10分ぐらいです。
御朱印は不明です。
社務所はありますが、人はいませんでした。
日本陸軍の少年戦車兵学校の有った跡地にたつ、戦歿戦車兵をまつる神社‼️サイパンから帰還した97式中戦車があり周囲にも学校の面影があります。
本物の97式チハたんが見られます。
展示方法も緩い感じで、触っちゃいけないのかもしれませんが、戦車に触れます。
半ば朽ち果てているとはいえ、装甲の硬さや各パーツの材質感、そして弾痕の捲れ上がり方など、じっくり観察すると、やはり本物には写真では理解できないくらいの情報量があるなと感じます。
戦車好きな人はもちろん、これから97式のプラモデルを組み立てる人も、じっくりと観察する為に訪れる価値がある場所です。
白糸の滝近くの神社に本物の戦車がひっそりと安置されています。
神社は無人で、しっかりした慰霊塔が建てられています。
安置されているのは九七式中戦車(通称チハ)でサイパンから帰還した戦車のようです。
機体に幾つも弾痕が残っているので当時の戦いの厳しさ、風化しつつある機体から時の流れを感じることが出来ます。
何度も富士市や富士宮に来ているのにも関わらず、こんなスポットがあるのは今回初めて気が付きました(付近にも案内の看板は無いような気がします)白糸の滝はもちろん、朝霧高原にいく途中に興味があるなら立ち寄ってみるのはありですね。
この辺り共通ですが、晴れていれば間近に富士山を見ることが出来ますよ。
かつて陸軍学校の跡地。
戦争から帰還した実物の戦車を見る事が出来ます。
生々しい銃弾の跡をみると、当時戦争の凄まじさと悲惨さを感じられます。
かつて少年戦車兵が汗を流した少年戦車兵学校があった場所に建立された神社、少年戦車兵学校出身者及び教職員の戦死者が合祀され、少年戦車兵ゆかりの品が奉納され。
中でもサイパンから帰還したチハ車が目を引くが、年々朽ち果てていく・・・私にお金があれば修復するのに・・・
随分前なんだけど、毎年仲間達と慰霊の御供養をさせて頂いていました。
ここには、若き命を国民に捧げた戦車が祀ってあります。
感動。
平成30年1月12日産経新聞に当神社の建立に携わった方の投書が掲載されました。
写真を掲載しますので経緯(いきさつ)をご覧ください。
この場所に戦跡があるとは思いませんでした。
一度は訪れるべきだと思います。
アクセスについても表記がされていてわかり易かったです。
名前 |
若獅子神社 |
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ジャンル |
/ |
電話番号 |
0544-54-0210 |
住所 |
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関連サイト | |
評価 |
4.4 |
旧帝国陸軍少年戦車兵学校跡地に、生き残った同級生らによって作られた神社だそうです。
サイパン戦から帰還した朽ち果てた戦車が展示されています。
平和が続くことを願わずにはいられません。